2011年の国王夫妻来日で一躍脚光を浴びた世界一「国民総幸福量(GNH)」の高いヒマラヤの小国ブータンは、1971年に国連に加盟するまで鎖国を続けていた。中国とインドに挟まれた国土の面積は九州と同程度。人々の暮らしにテレビが紹介されたのは世界で最も遅い1999年で、インターネット時代の波に乗って急速に近代化が進んでいる。
そんなブータンの小さな村に暮らす家族の日常を追った、とてもナチュラルで気持ちのいいドキュメンタリー映画「ゲンボとタシの夢見るブータン」(2017年、ブータン、ハンガリー映画、74分)がまもなく日本で公開される。美しい自然やゆったりしたリズムで繰り返される田舎の暮らしに魅了される一方で、互いの幸せを願う親子の心情にじんわり心が温かくなる不思議な映画だ。
日本語タイトルにあるのは兄と妹の名前だ。兄ゲンボは15歳、妹タシは14歳。とても仲の良い思春期の2人は、首都ティンプーから約200キロ、フェンスのない一車線の崖道を這うように走る高速バスで約15時間かかるブムタン県で8世紀から続く古刹チャカル・ラカンを代々守ってきた一族に生まれた。寺を継ぐ僧で父のテンジン(55歳)、母ププ・ラモ(48歳)、年の離れた弟トプデン(3歳)と寺院の一角に住んでいる(年齢はいずれも主な撮影時)。
監督は、ポルトガル、ハンガリー、ベルギーの欧州3カ国の3大学からなるコンソーシアム(大学間連合)「ドック・ノマッズ(ドキュメンタリーの遊牧民)」で共に学んだ1985年生まれのブータン人アルム・バッタライ(以下、アルム)と、1988年生まれのハンガリー人ドロッチャ・ズルボー(以下、ドロ)だ。入学前にブータン放送公社で制作に携わっていたアルムは現場主義の直感派で、映像理論や哲学を学んだドロは理論派だが、ともに芸術的センスが合っていたという。在学中から少年少女の成長や移民・移住、多文化主義などのテーマに関心があった2人は、卒業後の初監督作品をブータンで共同制作をすることにし、リサーチ中にブータン初の女子サッカー代表チームの選抜を受ける性同一性障害の少女タシと出会い、彼女の招きで自宅を訪れて家族と出会った。
「ドキュメンタリー映画を知らない家族に制作意図を説明するため、いくつか参考になる作品を見せて理解してもらって撮影に入った。観察を主体とするスタイルで、日々の小さな出来事を撮影していった。父はゲンボに僧院学校に進学して寺を継いでほしいという願いを持っており、母はこれからの時代は寺を訪れる外国人に説明できるよう英語を学んでほしいという考えを持っている。ゲンボは父を尊敬していて決して反抗しない優しい子だが、内に秘めた葛藤を持っており、彼の内面も取りたいと思ってカメラを回した」とアルム。ドロは「父テンジンは、話し好きで本当に面白い人でした。仏教の伝統的な価値観を持ちながら、LGBTのタシのことを『男の子の魂を持った女の子』と理解していた」と話す。
撮影期間は2015年1月から2017年7月まで。最初の1年間はほぼリサーチに費やした。ティンプーに住むアルムは比較的頻繁に撮影に入れたが、ハンガリー人のドロは年1回3~4週間が限度。だが、そのことが逆に「撮影対象を新鮮な目で見ることができて良かった」という。撮りためた200時間に及ぶ撮影データをハンガリーに持ち帰り、イルディコー・エニュデイ監督作品「心と体と」で注目された一流の編集者カーロイ・サライと編集した。「サライはハンガリー人だが仏教徒なので、仏教寺院の暮らしや作品の意図を深く理解してくれた。新人監督として一流の編集者と仕事ができて本当に良かった」とドロは言う。
映画の英題は「The Next Guardian(次代を守る者)」。ブータンの公用語ゾンカ語の原題を直訳すると「someone who has to preserve the future(未来を保護すべき誰か)」になるという。急激に進む近代化に伴って生じている世代間のギャップを背景に、登場人物それぞれの未来に何が待ち受けているのか? モンスーン気候で冬は晴天が続き、夏は霧の日が多いというブータン。ゲンボとタシの兄妹の未来も、まだ霧の中にある。
【公開日程】8月25日から第七芸術劇場、9月1日から京都・出町座、順次元町映画館で公開。