【précieux 京都】#22  2020年春。桜よ、ありがとう

precieux京都

桜は咲けども

 この原稿を書いているのは2020年4月6日です。未知のウイルスに戸惑う日々を送りながら、収束は当分無理なのでは、とさえ思うようになりました。お気に入りのテラスでシャンパンを飲んだり、気に入る運動靴を求めて店をハシゴしたり、取材先で相手から何時間も待たされたり……そういった日々の時間がいかに有難かったか、懐かしく感じるほどです。わずか3カ月前には意気揚々と新年を迎えたのに、ウイルスへの恐怖におびえながら過ごす日々を迎えるとは。爽やかな気持ちで青空を見上げることが無くなりました。

 京都は有数の観光地ですから、経済的なダメージはかなりのものです。知人からのメッセージには不安や絶望など様々な思いが綴られていますが、必ず最後に「こういう時でも桜は咲く。励ましてくれる」といったような言葉があります。源氏物語では光源氏が北山の山桜に引き寄せられるように山に分け入る様子が描かれています。紫式部がこの物語を綴った時も、そして今も、変わらず桜は人の成長に寄り添い、生きるという行為を照らし続けてくれる、日本人にとって特別な花です。人生の区切りの季節に強く咲き、見る側の思いを包み込んでくれ、多くの思い出と希望を呼び起こしてくれるのです。おそらく、これからは桜を見るたびに、この疫病との戦いを思い出すことでしょう。今後は昨年までと同じ気持ちで臨むことはできないかもなぁ、と思いながらも、変わらずに咲く桜を見れば、本当に癒やされます。

 

日本の原風景が残る里山・美山

大野ダムの桜が湖面に映って美しい

 

 80代となった母は、3年ほど前から「今年も桜を見ることができた。来年はどうかしら」と言うようになりました。桜を見ることが最期へのカウントダウンのようになっているというのは、高齢者だから仕方ない事かもしれません。もともと足腰が弱い母は一人で自由に外出することは難しく、家族と共に行く海外旅行、買い物、外食が生きがいでした。その全てを諦めざるを得ない彼女の「今」と「これから」を、とても心配しています。感染防止のため家に引き籠っている母の姿を見て京都府南丹市美山町に連れて行こうと考えました。ただし、車の中から愛でて、ときどき停車して車外に出る、ということに。ドライブを楽しみ、滞在時間は短めにしました。

 美山町は京都市内から車で約1時間。京都府のほぼ中央にある隠れ里には、数百年続いて来たであろう日本の原風景と生活が未だに残っています。面積370.4km2の96%が森林です。ゆったりと流れる由良川の源流には京都大学芦生研究林の広大な自然林が広がっていて雄大な風景の中に桜があちこちで咲く様は本当に見事です。

 一番の名所は由良川上流の大野ダム公園。1961年竣工の大野ダムはダム湖100選にも選ばれ、別名「虹の湖」と呼ばれています。60年前に、地元の大野地区の皆さんが1本ずつ植えた桜1000本が見事に成長しました。湖の周りを囲む遊歩道は起伏が多いこともあり、桜に手が届きそうな位置で観賞できます。長さ約300m、幅3mの遊歩道からダム湖側を見ると、湖畔に咲き並ぶ桜が湖面に映って輝いています。ダム堤頂の遊歩道に立った時、陰鬱なコロナ騒ぎから少し解放されたような気分になりました。この風景を生んだ長い自然の営みに比べたら、今までの、そしてこれからの数カ月は見えないほどの点のようなものだな、と。

 

大野ダムの遊歩道から下流側を見たらこんな感じ。眼下に雲海のように桜群が広がります

 

 

 

茅葺き民家の桜との競演

「かやぶきの里」から北上する由良川沿いの並木道

 1993年12月に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された集落「かやぶきの里」は大野ダムから車で約20分の知井地区にあります。39棟の茅葺き屋根の民家の屋根は茅(かや・ススキの一種)が材料に使われています。ほとんどが18世紀後期から20世紀中期までに建築されました。集落の入り口から敷地をくねる坂道は原則、車は進入禁止で、大切に村が守られています。集落の桜は、民家の庭に植えられていて、村人が植えた黄水仙、ユキヤナギなども満開で一幅の絵をみているようです。桜の木の数は少ないのですが、桜と茅葺き屋根との組み合わせは、日本でも希少です。

 思えば、今までも私たち日本人はいろいろな困難を乗り越えてきました。対峙する相手は違えども。この“戦い”を制し、来年は晴れやかな気持ちで、ここに立ちたい。そう願いながら見上げれば、そこには桜、そしてみなぎる希望。

左:すぐ、目前まで迫る桜 右:月と桜という風流な組み合わせ
茅葺き民家と枝垂れ。日本の原風景

 

※注:新型コロナウイルス感染症についての正しい最新情報を確かめて外出してください。美山の桜は今、ほぼ満開です。そして、来年も咲きます。

※観光の問い合わせは一般社団法人南丹市美山観光まちづくり協会、京都府南丹市美山町安掛下23、TEL:0771-75-1906(観光専用ダイヤル)。https://kyotomiyama.jp/

 

 


◆Writing / 澤 有紗

著述家、文化コーディネーター、QOL文化総合研究所(京都市上京区)所長。

京都、文化、芸術、美容、旅や食などなどをテーマに雑誌・企業媒体誌などの編集・執筆を担当するほか、エッセイなどを寄稿。テレビ番組や出版のコーディネート、国内外の企業の京都、滋賀のアテンドも担当。万博の日本館にて「抗加齢と日本食」をテーマに食部門をプロデュースするなど、国内外での文化催事も手掛ける。コンテンツを軸に日本の職人の技や日本食などの日本文化を「経済価値に変える」「維持継承する」ことを目的に、コーディネート活動を行っている。

主催イベントとして、日本文化を考える「Feel ! 日本 -日本を感じよう-」と、自分を見つめ直しQOLを高める「Feel ! 自分-QOL Terakoya Movement ? 」を定期開催。
https://www.qol-777.com

 

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