【天野千尋監督インタビュー】ちょっとしたすれ違いから生まれた隣人同士の対立が、マスコミやネット社会を巻き込んで、やがて2つの家族の運命を狂わせてしまう……。最後まで目が離せない衝撃の問題作「ミセス・ノイズィ」が、12月4日(金)から大阪ステーションシティシネマ、TOHOシネマズ二条、TOHOシネマズ西宮OSほかで全国ロードショー公開されている。昨年の「第32回東京国際映画祭」でワールド・プレミア上映されて大評判となり、公開が待たれていた天野千尋監督のオリジナル脚本による映画だ。来阪した天野監督に話を聞いた。
――もともとは5月に公開される予定だったそうですね。
はい、新型コロナの影響で公開が12月に延期されると決まった時、ちょうどノベライズの話もいただいて、自粛期間中に書いていました。公開と同時に小説も刊行されます。主演の篠原ゆき子さんも、その間にTVドラマ「相棒」への出演が決まったりして、タイミング的には良かったかなと思っています。
――オリジナル脚本だそうですが。
構想し始めたのは5年前で、そこから3年ぐらいかけて脚本ができ上がりました。
最初に「けんかの映画を撮りたいな」と思って、身近なけんかのネタを探し始めました。いろんなご近所トラブルや自分の夫婦げんかからもアイデアを得ました。以前、布団たたきで注目された騒音おばさんもその一つ。当時彼女はテレビなどで「エキセントリックなおばちゃんがいるぞ」と面白いものとして扱われていました。その後でネットの中では、おばちゃんを悲劇のヒロイン扱いするようなうわさが都市伝説のように飛び交っていた。真偽がわからないうわさですが、マスコミにもてあそばれたことを批判する声と相まって「おばちゃんはマスゴミにいじめられた」みたいな意見が盛り上がっていました。
ご近所トラブルの当人たちは、お互い自分が正しいと思っています。真偽のほどはわからないのに周りが勝手にジャッジして、応援したり批判したりしている。それがとても人間的で興味深かった。よく考えると実は、どんなけんかもそういう構造なんじゃないかなと思って、映画のテーマにしようと思いました。
――なるほど、争いごとはお互い自分が正しいと思っているから起きる。
私は社会で起こっている出来事に興味があり、それを映画にしたいと思っています。社会派映画は、弱者を救済したり、巨悪を倒したりとかメッセージ性が強いものが多いんですが、私自身はものの見方がある意味客観的というか。今の社会の現状は確かにおかしいけれど、他にこういう事情があるから、こんなふうになっているんだと、自分で納得してしまうところがあるんです。でも、それではメッセージ性の強い映画は作れませんよね。
そうやって悩んでいた時に、ご近所トラブルというのをたまたま思いついたんです。両方を見る自分の視点が、自分ならではの切り取れる軸になるのではないかと。よく考えると、周りにある小さなトラブルから大きな紛争まで同じ構造だなと。
ご近所トラブルは切実な話です。切実だからこそ面白い。コメディーを撮ろうとか笑わせようとかは意図としていないけれど、切実な人たちを描いて、それが客観的に見たら面白くなっている。そんなユーモラスなシーンが撮れたらと思っていました。
――脚本は3年がかり。ご苦労されたのでしょうね。
資金やスタッフの目途がつかず、なかなか撮影に入れない中で、モヤモヤを抱えながら脚本を直していました。主人公の小説家・真紀がスランプ設定なので、それに重なったり、私自身も小さい子どもがいて家事育児と映画づくりと、今後どうなるんだろうという不安な気持ちを抱えていたので、リアリティーが出たのかもしれませんね。
なかなか映画が撮れなくて苦しかったけれど、脚本を直しているうちに、どんどん面白くなっているのが自分でもわかりました。初稿の時はエンディングも違ったし、トラブルをネタに小説を書くことも、SNSのくだりもなかったんですよ。
――そうなんですか!?
実はこれを書き始めた時に別ラインでSNSをネタにした話も考えていました。普段からSNSに対しては自分自身、怖いなと感じていました。伝える情報が短いので、自分が発信したことが、どこかの誰かにどう伝わるかわからない。自分が意図したことと全く違う形で伝わってしまうかもしれない。ある意味、時に凶器になる面があるなと。
この脚本を書いている途中で、SNSを入れたら面白くなるんじゃないかなと思いついたんです。けんかの二項対立だけじゃなくて第三者みたいな存在が物語を深めるのではないか。SNSの怖さも含めて、事実を淡々と描きたいと思いました。
――隣のご夫婦役の大高洋子さんと宮崎太一さんはオーディションで選ばれたそうですね。
オーディションを主催する人に「こういうおばちゃんが出る話を考えている」と言ったら「じゃあ、いいおばちゃんがいる」と、大高さんを連れてきてくださったんです。お芝居がすごく面白いうえに、いるだけで人情味があふれてくるような人なので、この人で行こうとすぐ決まりました。
ワークショップオーディションの形を取ったので、結構たくさんの俳優さんが来てくださって、芝居を見る時間も普通のオーディションよりも長く、何日間かにわたって見ることができました。夫役の宮崎さんは映画の中でも物静かで無口な人ですが、普段でもそう。あふれ出る哀愁があるので、キャラクターにマッチするなと思いました。
ワークショップオーディションの間も脚本を書いていたので、キャラクターを見て脚本を変えたり、アレンジしたりしました。主人公の夫役の長尾卓磨さんも、いとこ役の米本来輝くんも、子役の新津ちせちゃん(「パプリカ」を歌う人気ユニット「Foorin」のメンバー)のお母さん(三坂知絵子)もワークショップオーディションに来てくださっていました。三坂さんは大家さんの役で出ていただいています。そのつながりもあって、子役はちせちゃんに決まりました。
――コロナ禍で「SNS炎上」や「ネットリンチ」はエスカレートしていませんか。
確かにコロナ禍で、人と人とのディスコミュニケーションが強まり、分断が進んだと思います。SNS炎上が自殺につながった事件も自粛期間中に起きました。人間って本当は多面的なのに、媒体を介してだと単純な情報だけが伝わっていく。すると、勘違いだとかズレを引き起こしやすい。対面で接することなく、リモートやWEBを通じてコミュニケーションするだけでは、情報が単純化されていくのではと思っています。一つのシンプルな情報だけでラベリングして「あ、これは自分とは違う」としてしまいがち。なので、この映画はタイムリーな映画になったのかもしれません。
――本当にそうですね。
コロナの影響で映画館に足を運ぶことも減りましたね。最近、「鬼滅の刃」で盛り返してはいますが、「映画、家でも見れるじゃん」とみんなが気づいたんだと思います。ネットフリックスとか、本当に面白いですし。でも家で見ると、選択肢の一つというか、いつでも止められるし、途中でごはんとか食べちゃう。他のものが視界に入ってきて、気がそがれちゃう。だから次も見てもらえることが重要になるから、制作者は目立つことをしようとする傾向が強くなると思います。
それに対して映画館は選択肢なし。入ったら2時間そこに座らなければならない。選択肢がいっぱいあるのとは違う、映画に集中できる状況で楽しんでもらえます。私は映画館で育ってきている時代なので、その文化がなくならないようにコンテンツを作っていこうと思います。
最近思うんですが、実際のところ、選択肢が多ければ多いほど、私たちは不幸になっているんじゃないか。選択肢が少ないと、それしかないから実は幸せというか、それで満足できる。そっちの方が実は豊かなんじゃないか。映画だけに限らず、今いろいろと情報が多いから、選択肢が増えすぎて、選ぶことがストレスになっているんじゃないかとも思っています。
――そうですね。選ばないと何もできなくなっていますものね。最近、引きこもりの人たちが増えているのもそれに関係しているのではと思います。どうやって選んだらいいかわからない。選べないから、動けない。
そう、選ぶって大変なストレスなんです。
――最後にタイトルの「ミセス・ノイズィ」は、監督が思いつかれた言葉ですか。インパクトがありますが。
実は、騒音おばさん事件があった時、海外メディアも報道していて、イギリスのインデペンデント紙が「Mrs. Noisy」と報じていたんです。その名前を知って「ドライビング・ミス・デイジー」みたいでいいなと。いいタイトルになったなと思っています。
――ありがとうございました。
「ミセス・ノイズィ」公式ホームページはコチラ https://mrsnoisy-movie.com/