1997年にイギリスから中国に返還された香港。中国は「1国2制度」を50年間続けると表明していたが、2019年2月に香港政府が提出した「逃亡犯条例改正案」をきっかけに、民主化を求める大規模デモが頻発。6月9日には、人口740万人の香港で103万人の市民が参加した「逃亡犯条例反対」のデモ行進が起こり、1週間後の16日にはさらに大規模な200万人デモが起こった。しかしその後、20年6月に施行された「香港国家安全維持法」の下で、事実上「1国2制度」は崩壊。民主派の議員や活動家が相次いで逮捕される事態になっている。公開中のドキュメンタリー映画「香港画」は、19年11月19日から20年1月2日まで現地で撮影した約50時間の映像を、1日の出来事に集約して見せる緊迫のドキュメンタリー映画だ。関西での公開初日の1月9日、取材にあたった山梨県生まれで東京在住の堀井威久麿(いくま)監督(39歳)と兵庫県神戸市出身の前田穂高プロデューサー(29歳)の二人に話を聞いた。
【堀井威久麿監督と前田穂高プロデューサーに聞く】
――非常に濃密な28分の映画ですね。なぜこのような構成に?
堀井 2つ理由がある。まず、この映画は通常のドキュメンタリーだったら考えられる歴史や経緯を描くことを排除して、若者の感情を描くことに特化した。そのために全体の時間と空間を圧縮させて、タイトル通り、壁画のような映画を目指した。
もう一つ、24時間構成にしたのは、オマージュした作品がある。アメリカの「Hotel22」というインデペンデント映画で香港の女性監督が作った作品だ。サンフランシスコで暮らしているホームレスが夜、居場所がなくなった時に22番線のバスの車内で過ごすという24時間の構成になっている映画で、その構成が私には非常に斬新で、今回の「香港画」に通じるものがある気がしたのでオマージュさせていただいた。
1カ月半のできごとを24時間の話として編集する時、日にちはバラバラに構成したが、撮影された時間帯をずらすこと、例えば朝の7時に撮ったものを昼に持ってくるようなことはあまりしていない。
――前田プロデューサーは堀井監督とどのように知り合ったのですか?
前田 6年前、堀井さんが携わっていた自主製作映画で、録音スタッフとして埼玉県の現場に入って知り合った。僕にとって初めての現場だったけれど、堀井さんは頭の回転が速い人だなというのが第一印象。何か起こっても対応策をすぐに考えて実行していた。その後、僕は映像業界を離れて別の仕事をしていたが、その間も堀井さんとはちょくちょく連絡を取り合う間柄だった。
堀井 当時撮っていたのは「まなざし」という介護をテーマにしたファミリードラマで、私は監督ではなく脚本・プロデュース・撮影をしていた。前田くんは機転が利いて、物覚えの速い青年だなと思った。
――タイトルには英語で香港人を意味する「Hong Kongers」と発音をかけているとか。
前田 そうです。香港人はもともと、自ら「Hong Kongers」とは名乗ってこなかった。香港人アイデンティティーが出てきたのはここ10年ぐらいの話で、彼らが自分は何者なのだと模索し始めてからだと思う。
――撮影のきっかけは?
堀井 2019年の10月、CM関連の仕事でたまたま香港に行っていた時、休みの日に街を歩いていたら、デモ隊が目抜き通りでバリケードを張っていて一触即発の状態に出くわした。興味を抱いて、彼らについて行き、持っていた一眼レフカメラで撮影したのがこの映画の始まりだった。
前田 その時に香港の堀井監督から「今の香港の状況を、日本からライブ中継などで伝えてほしい」と連絡をもらい、僕はパソコンの前に張り付いて、民間メディア数十社が発信している情報を見て、なおかつマップで今どこに警察が展開しているかを知るアプリがあって、それを見ながら堀井さんに逐一情報を伝えていた。それで10月21日の大規模な衝突が郊外で起きた時も、堀井監督はその場にいた。夕方から始まったデモが夜中の2時、3時ごろまで継続して行われていた。そのデモが終わった晩に、堀井監督から電話がかかってきて「これをドキュメンタリーにしないか」という提案があって、私もそれに乗った。
堀井 実はその時まだ自分の中では、ドキュメンタリーにできるとは思っていなかった。海外ロケだし、ツテもコネもない。自分はそれまでにドキュメンタリーを撮ったこともなかった。でも、前田くんがもし、この話に乗ってくれたら何かできるような気がした。直観ですね。それである意味賭けるような気持ちで「どうかな?」と持ち掛けたら、彼は二つ返事で「やってみたいです」と言ってくれたので、自分の中で決断できた。
――「伝えなければ」という気持ちだったのですか?
堀井 「伝えたい」よりも前に、まずは自分が知りたい。そしてそれを伝えたいということでした。
日本の大手メディアは危険だからということで前線には足を踏み入れない。会社が行かせないようにしているから彼らが放送していたのは、前線で学生が撮った映像だった。ということは、作り手の視点が映像に反映されていない。過激なシーンがただ羅列されているだけで、伝わってこない。だからこそ誰かが補足する必要があると思ったし、僕たちがやる意味があると思った。
――取材中に危険を感じたことは?
堀井 何度もあります。催涙ガス、ペッパースプレーも浴びた。
前田 僕は肩に催涙弾が当たった。
堀井 コーヒー缶より少し大きいぐらいの鉄の球が時速300キロぐらいで飛んできたんだよね。
前田 痛かった。あざになりました。実弾ではなくて、ガスを噴出する鉄球です。本来、水平射撃はしてはいけないことになっているけれど、それが守られてなくて飛んできた。作中にも出てきたと思うけれど、放水車の場面。
――そういう攻撃で亡くなった人はいるのですか?
堀井 催涙弾を浴びて亡くなった人はいない。別の形で、警察に追われて、ビルから落ちて亡くなった人はいる。映画の冒頭で紹介している遺影の彼。目をやられて失明した人はいるし、けが人は多数。
前田 なぜ彼らがそこまでして巨大な力と闘うのかが知りたくて撮ったというのも一つのきっかけだ。
堀井 香港社会は非常に分断されていて、レストラン一つとってみても、その店が民主派なのか親中派なのか、すべてアプリで出てきてしまう。それは市民が投票して決めているのだが、自分たちの思想によって選ぶ店まで決まってしまう。
――今のアメリカのようですね。日本も無縁ではないかも。このようにしたら少しは分断が解消されるかもしれないというお考えはありますか?
堀井 うーん、難しいですね。ただ私たちが映画を作る理由は、他者を知ることだと思うんですね。異文化を知り、他者を知る。知らないことを知る。それが恐らく憎しみを超えて、相手を受け入れる、ゆるすということにつながるかなと思って映画を作っている。他者を知ることは映画の役割でもあると考えている。映像が人を分断させるものになってはいけないと思う。
――では、プロパガンダとしてあおることは映像の役割ではないと。
堀井 なるべくそうありたい。
――インタビューに答えてくれた人たちのその後は?
堀井 いま日本に暮らしている2人は、日本で民主化運動を顔を出して継続して活動しているので、彼らの姿は今も追わせていただいている。映像登場時で2回逮捕されていた区議会議員は、すでに4回逮捕されており、いつ「香港国家安全維持法」が適用されてもおかしくない状況。彼はもう香港から脱出することも不可能な状況にある。中学生は連絡を取ることができない。ミュージシャングループは今も音楽活動をしている。デザインを学ぶ学生は恐らく学生として普通に活動している。日本に留学経験のある男性は日本への移住を考えている。元警察官で区会議員になった人は議員として頑張っている。
――これらの人たちに会えたのがすごかったですね。
堀井 全くの偶然でした。非合法な抗議行動はいつどこで何が起こるか全くわからないけれど、闘いが行われそうだなとなると、どことなくメディアも救急隊も集まってくる。
香港では役割分担がはっきりしていて、最前線で闘う若者は10代、年齢は高くても大学生ぐらいまで。それより年上の人たちはバックアップに回っている。金銭的にバックアップしたり、自分ができること、デザインや音楽、アプリを開発したり、それぞれが特技を使ってデモに参加している。
共助の精神が根づいていて、最前線が「これが欲しい」と言ったら、瞬時にリレーで渡していく。命令する人がいなくてもそれができるのが、決定的に日本社会とは違っている。
前田 もともと難民たちで成立した社会なので、お互いを助ける精神が非常に強い。とくに前線で闘っている少年少女たちがなぜあそこまで身を挺して闘えるのかというと、そういうフォーメーションがしっかりとできているから。まずは後方部隊があって、前線では救護班の人たちがいて、我々を含む現地のメディアがいて、警察が必要以上の暴力をふるうのを全部可視化している。
堀井 警察官にもいろいろな人がいて、精神的に追い込まれてデモ隊を見るたびに暴力を行使してくる人もいれば、僕たちに対して日本語ですごく丁寧に対応してくれる人もいた。結局のところ、暴力をふるうかふるわないか、最後は個人。彼らも狭間で苦しんでいる人たちだと思う。前線にいる警察官は若い人たちも多いので、思想の違いで結婚が破談になったという話も聞いた。
――描こうとした若者の感情とは?
堀井 一つの言葉にまとめるのは難しいですが、怒りや悲しみ。他に何かあるかな……希望。希望は今、非常に潰え始めてはきているけれど、撮影した当時は、たくさん希望をもって闘っている若者たちが多かったので、1年前は希望ですね。
前田 全部ひっくるめて言うならば「自由が欲しい」という気持ちなんじゃないかな。僕は親中派か、民主派か、「あなたはどっち?」と聞かれない世の中であってほしい。かなりきれいごとを言っていますが。
――ありがとうございました。
【公開日程】第七藝術劇場で公開中。1月23日(土)から元町映画館、2月26日(金)からアップリンク京都 で公開。公式ホームページ http://hong-kong-ga.com/