【主演の岩田剛典さん佐藤祐市監督インタビュー】
1月29日(金)から全国ロードショー公開される映画「名も無き世界のエンドロール」は、神戸市内や三田ウッディタウン、丹波市の田園地帯、淡路島など、関西人が身近に知っている場所でロケを重ねた注目作だ。原作は2012年に第25回小説すばる新人賞を受賞した行成薫さんの同名小説(集英社文庫)。公開を前に、主演の岩田剛典(たかのり)さんと佐藤祐市監督にリモート取材した=写真は提供。
――兵庫県や岡山県でたくさんロケされたのですね。
佐藤 はい。2019年7月末にクランクインして都内のシーンから。関西に行ったのは8月10日前後から8月いっぱい神戸、岡山で撮影。帰ってきて東京近郊で撮ってクランクアップしました。
岩田 関西の夏はすごく暑かったですね。映画の冒頭の神戸の元町商店街のシーン、時期的にはクリスマスの設定だったので、並木にすごくきれいなイルミネーションを撮影のために付けてもらって、あのロケーションだからこそ撮れた印象的なシーンになりました。あのシーンからいろいろ仕掛けが始まっていますので、見逃しちゃいけないです。
――10年前の回想シーンと今が交錯する作品なので、撮影は大変だったのではないですか?
佐藤 そうですね。シーンごとに今日撮るこのシーンは、こういう年代で、こういう心持ちで、今何かを目指しているのか、目標を見失っているのか、傷ついているのか、傷ついていないのか。1シーンごとに岩ちゃんともまっけん(新田真剣佑)とも確認しながら作っていった。そういうところにすごく集中した現場でした。
――撮影後に、編集で流れを決めていったのですか?
佐藤 脚本の段階で何回もシーンの並べ替えをして、脚本(ほん)を作っていった。こういう流れだと観客にはこうなってしまうからやめようとか、脚本の試行錯誤をすごく時間をかけてやったので、撮り上がりでシーンの入れ替えは大きくはしていません。
――岩田さんは物語のストーリーテラー的な存在ですね。どういうところに気を付けて演じましたか?
岩田 時系列は、先ほど監督がおっしゃったように、その場その場で確認しながら。キダを演じた立場としては、このストーリー自体がキダの目線で進んでいっている脚本だったので、キダが微妙な気持ちの変化で葛藤していく様を、観客にも同じような気持ちで見てもらえるように、かつ、作品が動いていくストーリー軸をしっかり伝えられるように。そこは、この役を演じる上で大事なポイントだったので、意識して演じました。
佐藤 僕は今回、岩ちゃんがキャスティングされると聞いた上でオファーを受けた。一回ご一緒したいなと思っていたので、直観的に「いいな」と思って。岩田さんはすごく優しい人。にじみ出る優しさがあって、いつもふざけてばかりのバカな監督を優しく受け止めてくれる(笑)。作品にとっても、キダという役を岩ちゃんが演じる上でも、単純な優しさではなく、すごく広く深い優しさが生きている。ご一緒して改めて「いいヤツだな」と。僕の方が年上なので「ヤツ」って言っちゃいますが、そりゃモテるよな(笑)。
岩田 (苦笑)
――キダに交渉人になることを勧める裏社会のトップ、柄本明さんとの共演は、いかがでしたか?
岩田 柄本さんはまさにプロフェッショナルで、圧倒されるものがありましたね。段取りの段階から、僕的には「わー、柄本さんとサシ芝居だ」と思って入るわけですが、本番の柄本さんの集中力とパワーはえげつないほど。段取りとは全然違う芝居になっていたと思いました。
キダの上司である川畑というキャラクターは、この作品のキーパーソンでもあります。僕が脚本を読んでつかんでいた川畑のイメージよりもケタ違いの迫力で、柄本さんが演じた川畑によって「名も無き世界のエンドロール」の世界観ができ上がったと思いました。言葉では言い表せないような雰囲気をまとっていらっしゃる役者さんでした。
――柄本さんの演技で「キダが裏社会の交渉人になる」ことの説得力が増したと思います。
岩田 そうですね……。
佐藤 細かいことにとらわれてなくて、大きく物事を理解してらっしゃるから。
――原作のある作品ということでの難しさはありましたか?
岩田 原作小説の中に、キャラクターのビジュアル的なことも文章で書かれている。だから、原作を読んだ人のイメージの中には、何となくキダ像、マコト像などがある。そのイメージを変に壊さないように慎重にはなりますね。それぞれの印象の作り方は、監督も一緒に相談に乗ってくださって、衣装部、メイク部などスタッフの皆さんにも支えられた。
実は最初キダは「カツラでいくか」「付けひげは?」なんて話もあった。マコト役のまっけんは彼の感じのまま、清潔感漂うエリート。それがマコトの大人パートをストレートに表現しているとしたら、キダはどういうふうにいれば、スクリーンの中で2人の違いを際立たせられるかなと話し合った。僕も悩みました。原作では「レオン」っぽい描写があるから、僕は色眼鏡でひげで、スキンヘッドで浅めのニット帽を被るのかなと(笑)。そしたら監督は「そのままでいいよ」って。本当に衣装合わせの時に色眼鏡、持って行こうかなと思っていたんですよ。キダはジャン・レノでしょ?っていうイメージがあって。
――監督はどうですか?
佐藤 やはり脚本を作る段階でのコンティニュイティーですよね。シーンの並び方によってどういう風にお客さんに伝わるのかということに一番神経を使った。各シーンでの俳優の心情や感情を表現するレベルとか、小さいことなんだけど、それを一個一個ちゃんと置いていって、キダとマコトの友情をどういうふうに表していくのかが、この映画の肝だと思っていたので。
実はキダとマコトの2人のシーンって、映画の中ではそれほど多くはない。だからこそ2人が出ているシーンは全部すごく大事で、そこで漂う信頼感、何も言わなくてもわかり合っている部分と、ちゃんと言葉で言っている部分と、反目する部分と、でも受け入れる部分と、みたいなこと……友情にもいろいろ形があると思うんですが、そのシーンごとの表現の度合い、強さのようなことを一番注意しましたかね。それだけ複雑な話なので。
――そのキダとマコトの関係性を、岩田さんは表現しなければならなかったのですよね。
岩田 2人の微妙な関係性を1つのシーンだけで表現するのはほぼ不可能。それで、10年前のパートは底抜けに明るく演じる。その明るさが効けば効くほど現代パートの見え方が変わってくると思っていました。現代パートの中でもあまりマコトとベタベタするシーンはないのですが、昔から変わらないマコトがキダに仕掛けるドッキリが大きいなと思っています。キダは大人になって鋭い人間になりますが、その鋭さの中にも昔と変わらないあどけなさというか、マコトの前だと変わらない部分がある。それをシーンとして作っていただいていたので、そこで表現すればいいかなと。
――10年前はヨッチ(山田杏奈)も含めて仲良し3人組でした。
岩田 マコトはずっとヨッチのことを考えて生きている。キダはヨッチのことも、マコトのことも考えなければならない人間。3人の関係性ですごく象徴的なのは淡路島での海辺のシーン。3人で世界の話をしますが、キダのセリフに「2人が見ている世界を、俺は一人で遠いところで見ている」というのがある。キダってそういうキャラだし、このセリフは作品の世界観も暗示している。あのシーンで僕は自分の役の立ち位置が腑に落ちました。
――ヨッチの口癖だった「一日あれば、世界は変わる」という言葉、コロナ禍で聞くと重みをもって迫ってくる言葉ですね。
佐藤 そのセリフもそうですが、タイトルも「名も無き世界…」。実のところ人間は、ほとんどの人が小さなコミュニティーの中で生きていると思うんです。中でも、マコトとキダとヨッチはもっと狭い世界で生きている。3人とも生い立ちにある不幸を背負っているからこそ強く結びついて小さな世界を作っている。
「一日あれば、世界は変わる」というセリフもそうですが、最初にキダがクリスマスでライトアップされた旧居留地の大丸の横を歩きながら言う「神様なんかいねーよ」とか、「押しボタンは押さなきゃ意味がない」とか、すべて原作にある言葉ですが僕は、彼らの小さな世界を表現する中で非常に生きてくるセリフだなと思っていました。3人はどこか社会に対して、周りに対して外れている。高校時代、男子はノーテンキだけど女子はもう大人っぽいでしょ。ヨッチは女の子だから、2人よりも少し先がわかって、客観的に物事をとらえている。ヨッチの中には「どうせ変わっちゃうんだ」というネガティブな気持ちが芽生えているんだなと思いながら撮っていました。
そして、3人の世界を表現する言葉たちが、今こういう時代になって、そのセリフが逆に見る人に引っかかってくるということは、皆がすごく小さなコミュニティーで、少なからず抑圧された中で生きているということを表しているということなのかもしれませんね。
――いろんな伏線がありながらのラスト20分。最後まで見て冒頭の映像を見ると、またいろいろな発見がありますね。
岩田 そうですね。本編を見終わった後は、あのシーンの意味が全く変わって見えてくるんですよ。この作品は2回目を見ると、また印象が全く変わる映画だと思います。
佐藤 ぜひ劇場でご覧ください。
――ありがとうございました。
©行成薫/集英社 ©映画「名も無き世界のエンドロール」製作委員会