【「星のや紅葉賀」体験リポート】平安貴族がその風趣を愛した嵐山にたたずむ“水辺の私邸”「星のや京都」で、11月29日と30日に、源氏物語にちなんだ平安の雅を体感できる宿泊者限定イベント「星のや紅葉賀(もみじのが)」が初めて行われた。
午前9時半、樹齢400年の紅葉が色づく枯山水の奥の庭に舞人を待つ緋毛氈(ひもうせん)が敷かれ、狩衣(かりぎぬ)をまとった総勢9人の楽人たちがそろった。楽人たちのなかには若い女性の姿もある。
上演前のトークで、この日演奏する雅楽の楽器と舞楽の演目「青海波(せいがいは)」についての解説があった。
まずは打楽器の紹介から、楽団のリーダーとなる鞨鼓(かっこ)、装飾を施した吊り太鼓、いわゆる鉦(かね)の音を出す鉦鼓(しょうこ)の順に。次いで管楽器は、笙(しょう)、篳篥(ひちりき)、龍笛(りゅうてき)とそれぞれの音色とともに紹介。よく冷えた大気の中で澄んだ音色が立ち上がり、清冽な印象がひときわ。東儀秀樹さんが「天からの光」と表現する笙に対して、篳篥は地に生きる人間を含む生き物の声を、龍笛は天地の間の空間を動く“龍”を表現しているそうだ。
「青海波」は紫式部が描いた源氏物語第七帖「紅葉賀」で、現代までも有名な舞楽。当時、光源氏は18~19歳。年長の従兄で正妻・葵上の兄でもある頭中将とともに、朱雀院の50歳を祝う式典で舞う青海波を宮中で試楽(リハーサル)することになった。懐妊中で式典に参列できない藤壺に見せたいという桐壺帝の粋なはからいなのだが……というくだりだ。解説は試楽の翌日、源氏から藤壺におくられた和歌「もの思ふに立ち舞ふべくもあらぬ身の袖うち振りし心知りきや」を紹介し、余韻を残して終わった。
楽人たちが場を清めるかのように滑らかな演奏を始めた。導入部の音楽が小休止し、再び曲が始まると、奥の庭へのプロムナードに控えていた2人の舞人たちがゆっくりとした足取りで近づいてくる。徐々に全身を現した楽人たちの衣装の、なんて豪華で鮮やかなこと! 紅葉の赤と緋毛氈の赤に映える美しい萌黄色の衣装をまとった一対の若人たちに一瞬で心が奪われた。
緋毛氈に立つとおもむろに、畳んでいた長い裾をはらりと落とす。その様の優雅なこと。互いの長い裾が絡まないように慎重に、調べに合わせて2人の舞人が同調する動きと対称となる動きを織り交ぜながら、ゆったりと舞を披露する。そう、平安人の時の過ぎ方とは、きっとこのようなものだったに違いない。現代のあわただしいリズムに翻弄されている身には、その一瞬一瞬が過ぎていくのが惜しいような至福の時間だった。まさに眼福!
舞が終わり、プロムナードへと去っていった舞人を呼び戻し、楽人の中の衣装に詳しい専門家が、青海波の衣装についての解説をしてくれた。それによると――。
舞楽の衣装は複数の演目で使われる襲(かさね)装束と特定の演目にだけ使われる別装束があり、「青海波」の衣装は別装束。頭の甲(かぶと)に大陸伝来のルーツを彷彿させながら、この演目だけに特別にあつらえられた豪華な衣装という。スポーツシューズのような白い履物は絲鞋(しかい)、白を基調とする下襲(したがさね)、様々な意匠を合わせ、襟と袖先に紅地金襴を施した豪華な半臂(はんぴ)、同じ紅地金襴が袴にあたる差貫の下部にも施されている。一番上の袍(ほう)と呼ばれる萌黄色の着物は、六分波形を重ねた青海波の地紋のある少し透けのある紗の生地にすべて形の違う千鳥を約100羽、刺繍した見事なもの。着付けには、着付け上手と着付けられ上手があるそうだが「約40分ぐらいかかる」そうだ。
この日の舞人と楽人は、京都雅楽塾が担当。舞人は源氏と頭中将の間の世代の若人。
観賞した泊まり客たちは満足した面持ちで、紅葉の下の舞人たちの写真を撮っていた。
国内6施設、海外2施設を展開する「星のや」は“夢中になるという休息”をコンセプトに、施設ごとに独創的なテーマを設け、宿泊する人を圧倒的な非日常へと誘う星野リゾートのホテルブランド。
嵐山・渡月橋のたもとから船で向かう「星のや京都」では、四季折々の風情を感じられる宿泊者向けの特別イベントを随時実施している。詳しくは公式ホームページで。