鹿児島テレビ放送(KTS)が製作した初めてのドキュメンタリー映画「テレビで会えない芸人」(81分)が1月29日(土)から第七藝術劇場、京都シネマ、元町映画館で公開される。
四元良隆監督は「一人の芸人を追って、メディアのあり方を問う作品になった」と話す。
芸人の名は、松元ヒロ。かつて社会風刺コント集団「ザ・ニュースペーパー」で数々の番組に出演し人気を集めたが、1990年代終わりからテレビを離れ、軸足を舞台に移した。毎年、春と秋に東京・紀伊國屋ホール(400人定員)で4日間行うソロ公演「ひとり立ち」はいつも満員。年間120本の舞台で全国を駆け回っている。
KTSでドキュメンタリーを撮り続けてきた四元監督が、松元ヒロさんのことを耳にしたのは2004年のことだった。本作の音楽を担当した吉俣良さんを取材していた時、「鹿児島出身で面白い芸人がいるんだよね。テレビでできないネタばかり披露するんだけど、彼のネタを聞くと胸がスッとするんだよ」。“テレビじゃできない…”、心に引っかかるものを感じながら、その時はスルーしてしまった。
2019年2月、松元ヒロが故郷・鹿児島で行った舞台を初めて見た四元監督は、終了後に彼と会い、深く考えさせられた。そして、松元からこう言われた。「最近テレビ局の人がよくテレビで会えない芸人を見に来るんですよ。そして、必ず言われます。『ヒロさん、面白い。絶対、テレビじゃ出せないけど』」。四元監督は18年前に感じた心の引っかかりが見えたような気がしたという。“テレビでは表現ができない、モノが言いづらい世の中になっているんじゃないか”。
居酒屋で話し込むうちに松元に切り出した。「ヒロさん、カメラを向けていいですか?」。すると、顔を赤くした松元からは「いいですよ」と返事が返ってきた。四元監督は「杯を重ねた鹿児島の焼酎のおかげだったかもしれない」と照れたように笑った。
翌3月、情報番組を担当していた1回り下の後輩、牧祐樹監督にも声をかけ、チームを作って取材をスタートさせた。牧監督は当初「風刺芸なんて大丈夫かな? ハレーションが起こるのでは」と心配だったという。
高評価だったテレビ番組を初めて映画化
しかし、放映したテレビ番組は大きな反響を呼んだ。2020年日本民間放送連盟賞最優秀賞、第58回ギャラクシー賞優秀賞、第47回放送文化基金賞優秀賞、第29回FNSドキュメンタリー大賞グランプリなどを次々と受賞した。
もっと多くの人に見てもらいたいと、「ヤクザと憲法」「さよならテレビ」などの衝撃作を世に送り出してきた東海テレビの阿武野勝彦に相談し、映画化して全国公開への道が開けた。阿武野は本作のプロデューサーとなった。
映画には、公演に向けてネタを作る芸人としての姿だけでなく、松元の人となりが描かれ、ぐいぐい引き込まれていく。
渋谷・ハチ公前で偶然出会った白杖の女性への自然で温かな接し方、親交のあった永六輔、立川談志との珠玉のエピソード、家族や友人、鹿児島実業時代の陸上部の恩師・山下義彦監督(なんと松元は全国高校駅伝の最終区で区間賞を獲得していた!)との対話……松元の周りにいる人たちの笑顔がとても印象的だ。
ドキュメンタリーに初めて臨んだ牧監督は、何が撮れるか分からないドキュメンタリーの現場にのめり込んでいったという。情報番組では、アウトプットを考えて“素材を集める”番組の作り方が当たり前だからだ。
予期せぬ出会い、偶然がもたらしてくれたもの。ドキュメンタリーの世界には、そんな宝物がたくさんある。
四元監督は言う。「もしヒロさんのことを最初に知った2004年に制作をスタートさせていたら、消化しきれないまま不十分なものしかできなかったと思う。15年後の2019年のタイミングでヒロさんと故郷・鹿児島で会って始めたからこそ、この作品ができた。ドキュメンタリーは運命。これからもこのドキュメンタリーというジャンルでは、誠実に『地域を見る』『ふるさとを見る』『世の中を見る』。きっとその先に、テレビが誰かの希望になることができるのではないでしょうか」
「テレビで会えない芸人」公式ホームページ tv-aenai-geinin.jp
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