3年ぶりに実施される京都「祇園祭」の山鉾巡行で、196年ぶりに復興を遂げると話題を呼んでいる「鷹山」。その囃子方の妙なる響きを一足早く水辺で楽しむ宿泊者限定の風流な催しが6月25日、嵐山の「星のや京都」で開かれた。
平安貴族が興じた嵐山にたたずむ“水辺の私邸”「星のや京都」は嵐山・渡月橋から大堰川を舟で約15分さかのぼった場所にある。日の暮れかかるころ、その下り桟橋に緋毛氈を敷いた観覧席を設け「京のお囃子舟」が始まった。まだ明るいが蛍も飛んでいる。
最初に鷹山保存会の山田純司理事長から、祇園祭と鷹山についての話を聞いた。
「祇園祭には1150年の歴史があります。始まった当時、今と同じような疫病が流行って、大きな地震が発生して、時の天皇が国を安泰にしようと、当時日本にあった66の国に見立て、棒の先に矛頭が付いた66本の矛を立てて町を練ったのが始まりといわれています。発祥当時の簡素な矛から徐々に今のような豪華な山鉾に変わっていきました」
京都で「先の戦争」というと応仁の乱のことという小噺(?)があるが、その応仁の乱後に巡行した記録が残る34基のうち、最後尾を務めていた鷹山の最後の巡行は196年前のこと。それ以前にも3度の火災に遭いながら、その都度、復興してきた鷹山は山自体が焼失したことで、巡行に参加できなくなったのだという。
「祇園祭といえば山鉾巡行をイメージされると思いますが、八坂神社の祭りは神輿渡御。御霊移しで神輿に乗られた神様が神社を出て四条寺町の御旅所に1週間逗留する前後に、お神輿が通る道を清めるのが山鉾巡行です。
鉾先に、きれいな飾りがあったり、お囃子を奏でたりするのは、町中にいる疫神をキラキラしたものやいい音楽で誘い集めて全部持って帰るため。山鉾は持って帰ったらすぐにつぶしますが、山鉾と一緒に疫神をつぶすことでお祓いができる。山鉾がきれいにした後の道をお神輿が通るわけです。
今日は、ここでお囃子を演奏して、この辺りの疫神を連れて帰りますので、皆さんはきれいな状態になって星のやさんにお泊りいただけるということになります」と笑わせた。
話が終わるころ、川下からお囃子を奏でる舟が近づいてきた。2艘の屋形舟を連結してしつらえた舞台に太鼓2人、笛6人、鉦(かね)5人が正座してお囃子を奏でている。鷹山復興に向けて、2014(平成26)年にまず結成されたのが囃子方だったとパンフレットにある。それぞれ普段は仕事や学業に従事しながら月2~3回、理事長の会社のロビーで練習を積んできたという。鉦を担当する5人のうち3人は小学生。最年少は小3だそうだ。
いつもは川のせせらぎ以外の物音がしない空間に、涼風がそよぎ、麗しい調べが響く。山の緑を背景に約20分間の演奏を楽しんだ。
続いて希望者が鉦を演奏するワークショップが開かれた。示されたのは●や▲の記号が書かれた「鷹」の楽譜。
「●は鉦の真ん中を、▲は下を叩く。▲▲は下と上を叩く」という説明を聞いて、鹿の角でつくられた撥(ばち)で鉦を打つ。打つ場所と打ち方の強さによって音が微妙に変わる。繰り返す中で、一定のリズムを保つには運動神経も必要なことがわかってくる。少し練習した後で、囃子方と一緒に演奏する貴重な体験が待っていた。
参加者は、祇園祭の期間中に鷹山で配られるお守りの粽と扇子、鷹山の生粽(和菓子)をお土産にもらい、下流へと漕ぎ出す囃子方の舟を見送って、下り桟橋を後にした。あくせくした街中での暮らしを忘れさせる雅なひと時だった。
復興した鷹山の巡行は祇園祭の後祭の7月24日(日)。午前9時30分から順に烏丸御池を出発。河原町通を下って四条烏丸までを清める。
山田理事長は「鷹山のご神体は鷹狩の鷹匠、犬飼(いぬつかい)、樽負(たるおい)の3体。ご神体の頭(かしら)と手6本は250年ぐらい前の江戸期のものが残っていましたが、それ以外はすべて新調して今年5月に完成しました。祇園祭では今日の舞台より少し狭い舞台に、ご神体と囃子方が乗って後祭の最後尾で巡行します。ぜひご覧ください」と話していた。
鷹山について詳しくは「公益財団法人 鷹山保存会」のホームページで。https://www.takayama.or.jp/
「星のや京都」では、宿泊者向けに趣向を凝らした季節の催しを用意している。
詳しくは公式ホームページで。