今年は1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災から100年。9/1(金)の公開前から話題を呼んでいる森達也監督初の劇映画作品「福田村事件」(137分)に先立って8/26(土)、1本のドキュメンタリー映画が公開される。100年後の今も残されている震災記録フィルムは、どんな人たちが、どのように撮影したのか? 長年、記録映画に携わってきた井上実さんが脚本・演出も担当した初監督作品「キャメラを持った男たち―関東大震災を撮る―」(81分)だ。来阪した井上監督に話を聞いた。
【井上実監督インタビュー】
――どうしてこの映画を作ろうと思ったのですか?
製作意図は2通りあります。
まず一つ。現在、震災記録フィルム(関東大震災時に撮った撮影フィルム)は国立映画アーカイブで主に保管しています。国が認めた確かな震災記録映像として、誰がいつ撮ったのか。監督は誰か。キャメラマンは誰か。制作会社はどこかなど、データがちゃんとそろった裏付けのある映像を活用して、関東大震災から100年経った2023年に、東京と近年、大地震に見舞われた関西、東北の都市で上映すれば、文化的にも歴史的にも、ひょっとしたら芸術的にも意味のあることではないかと思いました。これが一つ目の意図です。
もう一つの製作意図は、反省を込めて話します。
実はこれらの映像は、我々が仕事でよく見ている映像でした。例えば、テレビ番組などの製作で「関東大震災、発生」を伝える時、写真や記事と同時にこういう映像を、よくわからないままに使っていました。制作会社単位で、コピー映像を持っていることが多いんです。
「ここで関東大震災の映像が入るといいね」「じゃあ、浅草の十二階(凌雲閣)が崩壊する絵を使おうか」という感じで、その映像にかぶせて「関東大震災、発生」と、平気で使っていました。実際には十二階が崩壊する映像は震災後、軍人たちがダイナマイトを詰め込んで爆破させた映像です。更地にして区画整理するために爆破したのです。それを、いかにも関東大震災が起こって十二階が崩壊したみたいなナレーションを付けて使ったりしていました。
フィルムが撮影されたバックグラウンドがわかってくれば、ちゃんとしたドキュメントとして使うことができます。我々の先輩たちが随分苦労して撮った記録を、後輩たちが生きた素材として映画の中で活用する。そんな一つのモデルを震災100年の節目に作りたいと考えました。
――そうだったのですね。
実際、国立映画アーカイブに保管される前の映像の現状はひどいものでした。
未確定フィルム「unknown」ということで「出所不明」。「often film」と呼ばれていました。お寺の蔵の中や閉鎖された映画館の倉庫などで誰にも発見されずに眠っていたのです。
国立映画アーカイブがフィルムを収集するようになったのは1950年代からです。当時は国立近代美術館フィルムセンター、美術館の一部門でした。当時、フィルムアーカイブが盛んなフランスやアメリカに倣って映像をなるべくいい状態で保存しようという機運が盛り上がっていました。時代の記録、芸術の記録を、劇映画、ニュース映画の区別なく、フィルムで捉えたものはみんな保存しようとしました。
身元のわかるフィルムやクレジットのないフィルム、ジャンクな状態のものまで集まっていたようです。これは何とかしなければと「震災記録フィルム」を検証して、データ化を進めてきましたが、フィルムの物質性やクレジットの信ぴょう性など、困難なものもあり、道半ばのようです。
――では映画に登場した岩岡巽、高坂利光、白井茂の3人のキャメラマン以外にも関東大震災を撮っていた人たちがいたのですね?
国立映画アーカイブの研究員が1925年から30年までの5年間にわたって震災、ないしは復興というタイトルをみて多分、関東大震災の記録だろうなと思えるものを全部リストに上げたところ、本数が455件だったそうです。中には劇映画も入っているかもしれません。そのうち、現在26本が作品として保存されているそうです。
今もまだわからないものが分類されることを待っている状態です。かつて現像所や映画館などでフィルムになじんでいた方々が検証を進めてくれています。
――今回の映画作りは何から始めたのですか?
デジタルデータをちゃんとした形で持っている国立映画アーカイブの協力は欠かせないので、まず、特定研究員のとちぎあきらさんに相談しました。その時に面白い発見がありました。
当時19歳の日活のキャメラマン、高坂利光さんが向島の日活撮影所で地震を体験した後、ピューッと浅草の十二階へ直行しました。その4㌔ぐらいの道のりを、とちぎさんは歩いたことがあると言ったんです。大体1時間ぐらいかかったと。
「撮影機材を持って歩いたらどれくらいかかる?」と話が進み、今のフィルムキャメラをフル装備すると30㎏ぐらいある。当時のキャメラはもう少し軽量だから仮に15㎏ぐらいとして、三脚は上物と同じぐらいの重量が必要だから、その倍ぐらい、やっぱり30㎏にはなる。これを持って歩くのはきつい……。
そんな話をしながら、この映画はこの方法でやっていった方がいいんじゃないかと思ったんです。キャメラマンを記録する映画。我々、想像しますよね。想像してわからなければ体験してみますよね。
「記録映画はマラソンの野次馬と同じだ」と思ってきました。中継の横の歩道で走っている人がいますよね? あれです。彼らはランナーと同じ距離は走れない。せいぜい50㍍ぐらいであきらめる。ところがそれでもいいんです。ランナーのスピードがわかる。短い距離でも一緒に走ってみると体でわかる。追体験できる。
人って、もちろん言葉や映像で学ぶこともできるけど、真似することでフィジカルに手に入れる財産もある。それで、とちぎさんと話している時に「映画ごっこをしてみよう」と思ったんです。
19、20歳の若造たちが焼け野原でボロボロになった東京を、9月1日でまだ暑い。しかもそこら中で火が出て、火災旋風は吹きまくっている。当然、火に追われて川に飛び込んで亡くなっている人もいる。そんな中を、こんな重たいものを担いで猛然と十二階まで行って撮影したんです。チラシやポスターにある言葉「こんな時に撮影してんのかよ!」。まさに彼らに投げつけられた言葉だったでしょう。当時のことですから、撮影を知らずに「こんな時に何してんだよ!」だったかもしれませんが。
映画を作る中で、いろんな気づきがありました。この映画に関わった皆さんから授かったものを、映画として面白く見せることで、観てくださる人の気づきにつながっていけばと思います。
――映画のクレジットの協力のところに神戸映画資料館とありますが、どんな協力を得たのですか?
映画の冒頭に出てくる「震災キャメラ」は神戸映画資料館の収蔵品です。
神戸映画資料館は民間ですが、安井喜雄さんのコレクションを中心に、国立映画アーカイブにも負けない一級資料を保管しています。
「震災キャメラ」はアメリカ製の手回しキャメラで、京都にあるハヤカワ芸術映画製作所の撮影技師、見ノ木秀吉が使ったキャメラと思われます。ケース内に「関東大震災の時関西より列車の屋根の上に乗り、災害の模様を写し米国等へ輸出」とありました。
このキャメラで現在の浅草六区を撮影したトイカメラで撮ったような映像も見どころの一つです。キャメラが奇跡的に壊れていなかったことと、映画のフィルムの規格がずっと変わっていないので可能になりました。
もう一つ。撮影・高坂利光のクレジットがある日活版の震災記録フィルムの4Kデータを神戸映画資料館に借りました。
この映画はどのようにでも観ていただいても、ご活用いただいても大丈夫なように作っています。題材は関東大震災というカタストロフですが、希望の光になるような励ましも演出者としては込めたつもりです。
――ありがとうございました。
(大田季子)
【上映情報】8/26(土)から東京・ポレポレ東中野、大阪・第七藝術劇場(阪急十三)で。9/2(土)〜9/8 (金)元町映画館(各線元町)、9/8(金)〜9/14(木)京都シネマ(阪急烏丸/地下鉄四条)。
第七藝術劇場では下記の日程でトークイベントがある。
■8/26(土)15:00の回上映後 舞台挨拶予定
登壇者:井上実 監督と金居光由さん(元神戸新聞社カメラマン/公益社団法人日本写真家協会正会員)
金居さんは阪神・淡路大震災時に報道部のキャメラマンで、地元メディアとしておそらく一番多くの現場に赴いたと思われる人物。震災現場で写真を撮った人と井上監督が話し合う。
■9/9(土)14:50の回上映後 トークショー予定
登壇者:田中傑さん(都市史・災害史研究家)
映画にも登場する田中さんは関東大震災記録映像の同定(映像に記録された撮影地、時刻帯、アングルなどを突き止める)でユニークかつ高い評価を受けている。
「キャメラを持った男たち―関東大震災を撮る―」公式サイト https://kirokueiga-hozon.jp/movie/camera/