兵庫芸術文化センター管弦楽団(PAC)2018-2019シーズンの定期演奏会も今回で最後。会員になって定期演奏会を聴き始めて足掛け10年になるが、シーズンの終わりはちょっぴり感傷的になる。アカデミーの要素を持ち、最長3年の在籍期間を設けるPACは、次のシーズンが始まる9月には新しいメンバーも迎えるが、この演奏会と佐渡芸術監督プロデュースオペラで卒団していくメンバーもいるからだ。6月22日土曜も少しメランコリックな気分で足を運んだ。
この日の指揮はPACの演奏会ではおなじみの下野竜也(定期は9回目、シューマン&ブラームスプロジェクトでも共演している)。
前半はリヒャルト・ワーグナー(1813-1883)の女声のための5つの詩「ヴェーゼンドンク歌曲集」。ドイツの現代作曲家ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ(1926-2012)が1976年に室内オーケストラ向けに編曲した版での演奏という。
生涯にいくつもの恋愛をしたワーグナーの恋人の中でも、パトロンだった貿易商の若妻マティルデ・ヴェーゼンドンクは、この歌曲集を生むもとになった詩を書いた女性として名を遺した。恋は芸術の孵卵器で、マティルデは天才芸術家にインスピレーションを与えたミューズだったのだろう(芸術家の連れ合いは大変ですね)。
ヘンツェ版の女声は短3度低く設定されているそうで、ワーグナー歌いのメゾ・ソプラノ池田香織が約30人編成のオーケストラをバックに、「天使」「止まれ!」「温室で」「悩み」「夢」の5曲を、情感を込めて歌い上げた。仏像を思わせるドレープの美しいロングドレスの池田は、響かせにくい低音域にもかかわらず、よくとおる丸みを帯びた歌声。オーケストラの奏でる音と調和して包み込まれるようだ。日本語の字幕を目で追うと、歌手の表情の意味がわかるが、暗喩に満ちた硬質な詩の言葉は哲学的でもあり、甘い恋文とはほど遠い気がした。
後半はアントン・ブルックナー(1824-1896)の交響曲第5番。そういえば下野さんは若いころ「ブルックナーの巨匠」と呼ばれた故・朝比奈隆さん(1908-2001)のアシスタントを務めていたっけな……。
演奏前にちょっとしたアクシデント?があった。音合わせ中にヴィオラ奏者の弦が切れたのだ。調整のため奏者が退席したことに気づかずに下野マエストロが登場。挨拶しようとしたところ、コンサートマスターに状況を耳打ちされ、しばし待機。周囲を見渡しおもむろにトークに入った。
「こんにちは。ヴィオラ奏者の弦が切れたみたいなので、少しお話します。最初に言っておきますが、今日はアンコールはありません。昨年のように大河ドラマの曲を期待されているかもしれませんが、ブルックナーの後に『いだてん』はないです」と話して会場を笑いに誘って和ませた。そして一度退出して再び登場した時、温かい拍手が迎えた。
約80分にも及ぶ大曲の演奏は、本当に素晴らしかった! 音色を変えて随所に顔を出す主題のメロディー、緊張をはらむ一瞬の無音、木霊か鳥のさえずりのように一音ずつ呼び合う異なる楽器同士の掛け合い……。70人余りの編成とは思えないほどの分厚い音の塊がゴウゴウと迫るかと思えば、妙なる調べが軽やかに浮遊する。その予測させない転調のしかたが見事で、聴き手は途方もない流れのただなかに身を置いて、ただ陶然と耳を傾けるほかない。演奏が終わった時、なんだか長い旅に出ていたような心地よい疲れを感じた。
そう、2018-2019シーズンのPACの演奏の旅も、とうとうここまで来たんだ。終演後、PACのコアメンバーたちがロビーに出てきて、聴衆を見送ってくれた。
立ち去りがたく、サイン会に並んで、下野さんに「PACの演奏の一番の魅力は何ですか?」と聞いてみた。少し考えて「先入観を持っていないことですね。ほとんどの楽団員にとって、初めて演奏する曲ばかりですから、指揮者も先入観を捨てることができる。オーケストラは通常、この曲はこんな風にやるもんだと思っているところがあるのですが、それがないですね」と答えてくれた。
コンサートマスターは豊嶋泰嗣。ゲスト・トップ・プレイヤーは、ヴァイオリンの戸上眞里(東京フィルハーモニー交響楽団第2ヴァイオリン首席)、ヴィオラの中島悦子(関西フィルハーモニー管弦楽団特別契約首席、神戸市室内管弦楽団奏者)、チェロの北口大輔(日本センチュリー交響楽団首席)、コントラバスの黒木岩寿(東京フィルハーモニー交響楽団首席)、トランペットの高橋敦(東京交響楽団首席)。スペシャル・プレイヤーは、PACのミュージック・アドヴァイザーも務めるヴァイオリンの水島愛子(元バイエルン放送交響楽団奏者)、ホルンの五十畑勉(東京都交響楽団奏者)。PACのOB・OGは、ヴァイオリンで8人、ヴィオラとチェロで各2人、コントラバスとクラリネットでそれぞれ1人が参加した。(大田季子)