日本の植物分類学の父、牧野富太郎氏が造成に関わったと考えられるロックガーデンが、神戸市東灘区の私立灘中学校高等学校の構内で見つかりました。山野草を植えるなどして復元する取り組みが始まっています。
理科教諭の縁で 山野草127種を栽培
牧野氏は1862年高知県生まれ。南国土佐の豊かな自然のもと、幼少から植物に興味を持ち、独学で植物の知識を身につけた。2度目の上京の際、東京大学理学部植物学教室への出入りを許され、日本の植物の幅広い研究に打ち込むことに。1957年に94歳で亡くなるまで、収集した標本は約40万枚、命名した植物は1500品種以上にも及ぶ。各地を植物採集に訪ねる中で関西にも足跡を残し、1933年の六甲高山植物園(神戸市灘区)の開園にも立ち会ったとされている。
灘中高にロックガーデンが生まれたのは、34年。「理科を教えていた川崎正悦教諭が若い頃から牧野博士の弟子だった縁で、当時流行していたロックガーデンを造る話が持ち上がったようです。本校で講演された記録も残っており、博士が関わったのは間違いないでしょう」と海保雅一校長は振り返る。
ロックガーデンは大きな岩組みの間に植物を配置する英国生まれの庭園様式で、全国に先駆けて特に阪神間で流行した。35年の学校の交友会誌には山野草127種の栽培リストが掲載され、かなり大がかりだったことがうかがえる。
大阪・神戸の2園協力 自然の大切さを伝える
肝煎(い)りで生まれたロックガーデンだったが、4年後に校内で火災があり、水害や戦争も続いたため、その後長く放置されてきた。しかし2年前、国内外でロックガーデンを調べる咲くやこの花館(大阪市)の久山敦名誉館長が神戸市内であった講演で、灘中高の庭について言及したのを海保校長が伝え聞いたのがきっかけに再興の機が訪れる。「正門を入って左側に石積みがあるのは目にしていましたが、こんな逸話は知りませんでした。日本の植物学に貢献した偉大な方と本校のつながりを忘れないでおこうと、復元することにしました」と海保校長。
約15平方メートルのロックガーデンの復元は、咲くやこの花館と六甲高山植物園などが協力。土を持ち込み、昨年秋に原種チューリップの球根を植えたのを手始めに、学名に牧野氏の名前があるミヤマヨメナ、ナカガワノギク、ヒメハマナデシコ、シナノナデシコを含む約70種の草花が植えられた。90年前とは気候条件が変わり、生育が厳しいものもあるが、春から初夏には多くがかれんな花をつけ、目を楽しませた。自ら落ち葉を取ったり、水やりをしている海保校長は「生徒たちにも自然の大切さや四季の移ろいを感じてもらうきっかけになればうれしい」と期待している。
海保校長に聞く 小学生にアドバイス 夏休みの過ごし方
おもしろいと思うことを大切に
長い休みが続く夏休みは、先生が主導してくれる学校での学びと違って、自分がおもしろいと思い、自主的に学べるテーマを突き詰める時間にしたいものです。例えば、地域の図書館を訪ねて本を読んだり、調べものをしたり。普段は時間がかかってできないことにぜひチャレンジしてください。自然もどんどん体験しましょう。感性を磨くことで、自分は自然の一部であるという、まさに今注目のSDGs(持続可能な開発目標)の考え方が育まれていきます。キャンプなどの集団活動も大切です。好奇心、探究心を高める夏休みになればいいですね。