【武 正晴監督インタビュー】11月13日からTOHOシネマズ梅田ほか全国でロードショー公開されている「ホテルローヤル」は、2013年に第149回直木賞を受賞し、累計発行部数100万部を超える桜木紫乃の自伝的代表作だ。桜木の郷里である釧路を舞台に、昭和の匂いの残るラブホテルを舞台に、全7編のオムニバス小説で、切ない人間模様が交錯する。公開目前の武正晴監督にリモートでインタビューした。
――原作を読まれた感想は?
「ホテルローヤル」の監督をオファーされたのは2015年。読後感は一言でいうと「生っぽい」。すごくリアリズムを感じ、架空の話とは思えなかった。作家が結構自分自身のことを書いているからだと思う。僕は普段あまり本を読まないが、そういうものは比較的読める。小説も、作家の顔が見えてくる時に急にはまる時があって。そういう小説家のものは続けて読むことが多い。桜木さんはそのタイプだったので、当時出版されていた桜木さんの作品は全部読みました。ロケハンで釧路に行った時に、小説の世界が全部出てくることに驚いた。あ、全部本当にあるんだ、と。
――撮影は釧路でされたのですか?
撮影は2019年5月から6月。前半の10日間ぐらいを釧路でやって、後は札幌にセットを組んで。あと滝川に行ったり、ちょっと離れた場所で撮影したり。南も北も行ったので、北海道を縦断して、北海道を感じた撮影でした。いい経験でした。
――過去と現在がいつのまにかリンクする場面が多いですね。廃墟となったラブホテルに車で侵入してきたカメラマンとモデルが、というところから始まって、鏡に過去の情景が映ってくる。それで何となくゾワゾワッと……。
しますよね。「部屋が見ている」という視点が一番の発見だったと思います。映画化するために原作をばらしていった時に思ったのは、それぞれの話にリンクを張れないかなということ。タイトルは「ホテルローヤル」で場所はラブホテルなんだけど、そこにもう1本串を刺したいなと思った時に、203号室の存在に気づいた。あ、この部屋が全部つながっているんだと。檀家の話が出てくる1話だけどうしてもホテルとつながらなかったので、そこは割愛させてもらいました。桜木さんが「お好きなように」とおっしゃってくださっていたので、助かりました。
――部屋が主人公なのですか?
最初に小説を読んだ時に、そういう映画ってやってみたいなと思って、これはできるかなと。それと、映画をやってきた中で、セットをうまく使って映画ができるという題材だったので、シナリオを作る段階で「セットありきでやらせてくれ」と言いました。
――架空のラブホテルのセットは昭和っぽい、お城のようなしつらえで、そこにミカンがあることに温かいものを感じました。
桜木さんの小説のラストシーンで、デパートで買ってきたミカンが出てくる場面は、小説ではあるけれど視覚的で映画的だなと思った。ちょっとサスペンスというか、ミステリアスなところも含めて非常に映画的で、うまいなと。僕はそこを、小説の読者ではなく、映画を見ているお客さんにどう伝えようか、視覚でどう見せようかと苦心した。見ているお客さんに、どういう順番で、何を見せていったらいいかは気をつけて作ったところですね。
――妊娠中で酸っぱいものが食べたい若き日のるり子さんに、大吉さんが方々探し回ってデパートで買ったミカンを差し出す。そこには愛が感じられました。
それは、自分自身もギリギリ経験できた、昭和を生きた人たちの体験ですね。SNSやインターネットがない時代の買い物は、自分で買いに行き、目で見て選ぶしかなかった。今の若い人たちには、そんな経験はないと思うのね。人に何かを買っていくという行為は、もうすでになくなってきつつありますが、恐らく今後なくなっていく。
そこが、桜木さんという作家の置き土産。昭和の人間が置いていく文学を、後世の人が見た時に「こんな時代が昔あったんだな」と。それをきっちり残る形で書かれたんじゃないかと思います。失われゆく体験が、小説や映画の題材になっていく。数十年前の話ですが、そこがもうなくなっている現在、すごく新鮮に感じましたね。
――主人公の雅代さんを演じた波瑠さんは、高校生として登場するシーンから美大受験を失敗して、ラブホテル稼業を引き受け、そして最後のシーンまで、数年間の微妙な変化を見事に演じていましたね。
台本がもうそうなっているから「波瑠さんはどうするのかな?」と最初に見守っていたんだけど、目線やたたずまいを上手に計算して非常にうまくやってくれていた。かなり集中して、理解して演じてくれているとわかったので、僕は口を出さず、見守っていった。
ただ、その彼女の目線や状況を作るにしても、周りの環境、周りの人たちが演じる部分をきっちり作っていかないと、求める目線が生まれない。個人個人のお芝居ではあるんですが、その辺は集団劇というか。両親や彼女の周りにいる人々に対する目線で変化が起こってくるので、彼女が見るものをちゃんと作ろうとしました。
--雅代さんには、あまりセリフがありませんでしたしね。
自分の監督作品は、結構しゃべらない人が主人公ということが多いんです。「百円の恋」(2014)もほとんどしゃべらない女性が出てくる。「全裸監督」(2019※Netflixで配信中)の村西とおるはよくしゃべっていますが、基本、主人公はあまりしゃべらない孤独な人が多い。よくよく考えたら、自分も普段あまりしゃべっていないし、一人でいることが多い。普段から人ってあまりしゃべらないのかなと思います。
――あるテレビ番組で、桜木さんが執筆する仕事部屋が出てきて、大きな窓の向こうに緑が広がっていました。まるで雅代さんの部屋と同じようだったのですが、それは監督が桜木さんの部屋をご覧になっていたからですか?
いや、僕は知らないです。全くの偶然ですね。たまたま札幌で、控室になっていた建物の廊下の窓が大きくて、とてもよかった。それで、ここに壁とかドアとか立てて屋根裏部屋っぽくしたら、部屋に見えるんじゃないかと。映画的に考えて窓からは湿原が見えるという設定にした。原作には「ここから見える風景、最高だろ?」というセリフはありましたが、娘の部屋の記述はなかった。だけど、あの親父が娘のためにこさえた部屋というのを表現したくて。あのお父さんなら、子どもに対してそういうことをやっちゃうんじゃないかと。
実はそういう原風景は、誰にとってもすごく大事で、その人が生きていく根っこになる、土地を離れても。僕も生まれたところを離れて30、40年になりますけれど、記憶の中で戻っていける場所はある。だから、そういう場面が作りたかったんですね。
――雅代さんは、その風景を目に焼き付けて出発していった。
そうですね。しかも彼女はずっと、その風景にこだわって絵を描いていたんだけれど、なかなか描き切れなかった。ホテルを出て行く時、その部屋で自分が描いた絵を持っていくのか持って行かないのか。そこに、ある思いを込めたので、ぜひ見て味わってほしいと思います。
旅立つ彼女に宮川が餞別で贈ってくれたミカン。それが彼女の因縁で、どうしても持っていかなければならなかったものでした。
――まるで、おとぎ話のようにも聞こえますね。
おとぎ話のようなことが現実に起こるんですよ。実は、あのミカンは僕の実経験でもあります。幼い時に北九州に住んでいたことがあって、とある映画のロケハンの時にたまたま30何年ぶりかにそこを通り過ぎた時に、かつてこの辺りに住んでいたなということに気づいて、一人で幼少の記憶をたどって、住んでいた所に行ったことがあるんです。地図も住所も何もない。ただ信号の音とか、昔の懐かしい音とか一致するものがあって、だんだんその場所に導かれて、記憶も取り戻して、風景もわかってきて行くんですが、実際に住んでいた場所はもうなくて。だいぶ風景が変わっていたんですね。でもまあ、ここまで来れたからいいやと帰ろうとした時、そこは坂道だったんですが、急に後ろで「ドン!」って何か落ちた音がして転がってきたのが夏ミカンでした。
坂道をゴロゴロ転がってきた夏ミカンを拾った時に、それを転がして遊んでいた子ども時代のことを思い出して、「ああ、この夏ミカンの向かい側に僕の家があったんだ」ということがハッキリわかった。ああ、来てよかったなあとニヤッとして、歩いて帰ったのを覚えているんです。それをね、この小説のシナリオを書いている時に思い出した。原作にはなかったけれど、あれは僕の実経験。もうこれでいいや、ここにもう二度と来ることはない、新しい場所に行こうと。
桜木さんも「ホテルローヤル」という小説は自分の身の回りにあったことだけど、実際のことではない。経験していたことが、経験していないことを書かせるとおっしゃっていた。僕自身も映画の中で、自分の経験ではあるけれども、経験とは違う表現になっていく。そういうことが、ものを作るという行為には宿命のように付きまとうんだと思います。
経験が投影されて、経験していないものを生み出す。それが小説であり映画である。どこかで自分の生きてきたことをちゃんと表現しないと。恥ずかしい作業ですけれど、そういうものがないと、小説も書けないし、映画も作れない。桜木さんとお会いすると、そんな話をしています。
――本作の主題歌「白いページの中に」、柴田まゆみさんの懐かしい曲がLeolaさんの歌声で蘇りました。監督の選曲だそうですね。
比喩的な意味ですが、ずっと部屋に閉じ込められていた人が、最後に解放されることをどう表現するのか。それを模索していた時、釧路には素晴らしい空と素晴らしい海があるので、石川啄木も見たであろう夕日が素晴らしい場所に行ってカメラを置いてみた時、急にあの歌を思い出したんです。僕が小学校に入る前にラジオやテレビでよく聞いていた曲です。それでホテルに帰ってiPadで歌詞を確認したら、映画とぴったり合っていることに気づいた。編集も、この音楽を聴きながらやっていきました。
作品を作ることは、自分の中での記憶の再構築だと常に思っています。作品を作るたびに、自分の過去の記憶や体験したことが引き出しのように出てくる。それが、この仕事の一番の魅力です。それは何も僕だけに限ったことではなく、僕が作った映画を見ることで、いろんな人たちの引き出しがどんどん引き出されていく。僕自身も、そういう経験をさせてもらってきたので、見る人にそういう経験を連鎖させていける場にいられるということは非常に価値のあることだなと思っています。
――スクリーンの表面に表れているものだけでなく、今生きている人の背後にあるものの体積というか。友近さんが演じるホテル従業員のミコさん(余貴美子)の母親が働くシーンも印象的でした。
そうですね。さっき言った原風景じゃないけれど、母親というものは非常に大きな存在で、母親の後ろ姿とか、何かの時に言った一言というのが、その人の人生にとっては大きいのかもしれない。自分自身もそうですけれども。
――見終わった後に、とてもさわやかな気持ちになりました。
そこは原作が素晴らしいものでしたから、演者たちもそこに気持ちが入ってくれていて。スタッフもキャストも僕も、みんなそこに向かって進んでいった。それをちゃんと釧路に行って撮れたということが、なお、我々の力になった。そういう結果の映画だから、なかなか作れない映画を作れたなと思います。昨年撮った映画で、新型コロナ禍で我々が一度失った風景かもしれないんですが、それを見ながらいつかそれをまた取り戻そうよという気持ちになれたら。映画っていうのは、そうあるべきだと思います。
――原作者の桜木さんはインタビューで「雅代のような女の子は、世の中にたくさんいると思っています。(この映画を見ることが)彼女や、彼女とすれ違う人々に物語を感じて、自分の足で一歩を踏み出すきっかけになったり、すぐそばにいる大切なひとを、改めて大切に思うひとときになれば」と言われています。雅代さんはこの後、どこに行くんでしょうか?
うーん、きっともうちょっといろいろと苦労されると思います。ラクではない。でもそれが、周りからは苦しく見えても、きっと本人にとっては苦にはならない。決して苦しいことをやっているつもりではない苦しさの中で生きていく。それが、生きていく価値だと思いますし、そんな中に自分を支えてくれる人との出会いもあるのだと思います。
きっと「何々屋の娘」と呼ばれていた女性が、ちゃんと「雅代さん」と呼ばれることに価値があるんですよね。地元でずっと「ラブホテルの娘」と呼ばれていた雅代が、ちゃんと「雅代さん」という個人になって生きていける。誰それの妻とか、誰それの母でなく。
――とてもよくわかります。
女性が置かれてきた立場を考えると、誰それの妻とか、誰それの女って呼ばれる時代はもういいんじゃないかなと思います。数千年そんな感じでやってきたんでしょうから、これからの千年はそうじゃなくていい。すでに間違いなく、そういう時代になっていると思います。
――ありがとうございました。
「ホテルローヤル」公式ホームページはコチラ https://www.phantom-film.com/hotelroyal/
©桜木紫乃/集英社 ©2020映画「ホテルローヤル」製作委員会