7月24日(土)から第七藝術劇場(阪急十三)で公開される、27歳の青柳拓監督作品「東京自転車節」は、これまで誰も体験したことのない臨場感あふれる映像がスクリーンを疾走する青春ロードムービーだ。撮影は主にスマートフォンと手のひらに収まる小さなアクションカメラGoProで。ユーチューバーがスマホのカメラで撮影した自撮り動画を「今こんなことをしています」と発信しているような親しみやすさがありながら、2020年春、最初の緊急事態宣言下の東京の街の情景を活写する。街中を走る自転車が感じる路面のガタガタ感、自転車をこぎながら自らを鼓舞するように実況する青柳監督のチャーミングな声がいつまでも耳に残る。
2020年3月下旬、収入を得ていた運転代行の仕事がコロナ禍でなくなった青柳監督のもとへ日本映画大学(旧・日本映画学校)の先輩、大澤一生プロデューサーから電話があった。
「ウーバーイーツの配達しながら映画を撮るってどう?」
4月20日、青柳監督は地元の幼なじみ、秋山周くんに借りた三段変速の自転車(青柳監督いわく通称“ベロチャリ”)で2日がかりで東京へ。山梨県市川三郷町から新宿まで、山を2つ越えて約120km、国道20号をひた走った。
冒頭のこのシーンに流れるユーモラスな音楽は、自転車を貸してくれた秋山くんが炭坑節をベースに作詞・作曲して歌ってくれた「東京自転車節」だ。「秋山くんは一緒に音楽をやっていたこともある友人。僕のことをずっと知ってくれているので、労働歌を作ってほしいと頼んだら、歌詞も一発でバッチリ決まり、望んだとおりの労働歌にしてくれました」
東京に着いた青柳監督は映画仲間や高校時代の同級生のところに居候しながら配達の仕事をしていく。メインの配達エリアは新宿。配達が深夜に及んだ時には寝袋で野宿したことも。坂が多い東京で「電動自転車だったら稼げるよ」とアドバイスされ、貸し出しスポットでレンタルバイクを借りてみたり、先輩にロードバイクを借りてみたり。けれど、友人宅から新宿に出るには電車賃がかかる。電動自転車のレンタル代も東京まで走った自転車の駐輪代もかかる。パンクしたり、スマホを落として修理したり、予期せぬ出費もあって、なかなかお金はたまっていかない。1週間で5万円程度は稼げるだろうとの当初の読みは大きく外れた。
「緊急事態宣言が解除されて山梨に帰った6月20日までの2カ月の稼ぎは約30万円、手元に残ったのは10万円ぐらい。筋肉痛にもなるし、体もしんどくて。2カ月のうち、最後は7日間ぶっ通しで働いたけど、働いた日と休んだ日はほぼ半々です。僕が怠け者というのもあるかもしれませんが。
配達料金はシステムのさじ加減で決まるので、全くわかりません。1回あたり大体350円から600円の間といわれていますが、基本料金がブラックボックス化していることは今問題にもなっています。昼時や夕方のピーク時間、雨の日には料金が加算されたりします。チップという制度もあり、プラスでいくらかくれる注文主さんもいますが、ブラックボックスの状況は許せないことで、続けてはいけない仕事だということは僕の中では確定しています。だけど、プラスで報酬がもらえるクエストはゲームのようで達成感がありました。新米配達人としては雲をつかむような最大のクエストだった『3日間で70回配達』を最後に達成して達成報酬を1万3千円ぐらいもらいました」
監督青柳は主人公の青柳くんに「まじめに働け」と言った
青柳監督は「主人公の青柳くんと、監督としての青柳がいるんです」と言う。
「監督は青柳くんに『労働者として一生懸命やれよ』と言っている。青柳くんは撮影するカメラのスイッチを押して、配達することに没入していく。映画ではカメラに語り掛けることってあまりないんです。でも僕は、見てくれている人に語りかける作り方をしてみました。ドキュメンタリーですが、カメラの前で人間は演じてしまいます。現実は現実なのですが、ある意味の演出が入って、見せたい自分を見せている。だからこそ条件が必要で、監督して自分を撮るという軸が必要でした」
自らに課したのは、スマホをちゃんと使う、配達員だから街角インタビューなど関係ない人に声を掛けることはしないなどの細かな決め事。「監督としての自分が主人公にならないように気をつけた」という。
青柳監督がお金を稼ぐことにこだわったのには理由がある。大学の時に借りた奨学金を返済しなければならないのだ。「高3の時に『お金ないけれど大学に行きたい』と言ったら教頭先生に『奨学金制度があるよ』と教えられた。稼いだこともない高校生に500万円の奨学金を借りる制度を教えて、成人になって働き始めたら20万円の給料から3万円ずつ返していけばいいのね、ぐらいの計算でした。後から思えば無理があります。20年かけて返済すると利子がついて700万円ぐらい返済しなければならないんです」
東京に着いて最初の居候先は、映画仲間の加納土くん(『沈没家族 劇場版』[2019]監督)の家だった。「土くんと話していた時、『家族を想うとき』(2019)を手掛けたイギリスの映画監督ケン・ローチさんのインタビューを見せられた。ローチさんは『宅配ドライバーは個人事業主といいながら使い捨てにされている』と言っていた。その時僕は『わかるけど正論を言ってるだけじゃん! 僕は奨学金を返さなきゃいけないんだ。稼がなきゃならないんだ。稼がせてよ』と思って実感がわかなかった。けれど、自分の体験を通して『あれ~、使い捨てってこういうことかな。全然稼げてないし、貯金もたまっていかないし、働いているんじゃなくて働かされているんじゃないか』という気分になって、その時に理解しました。だけど、それは考え方の問題じゃないかと思っています。『使われる』のではなく、『使う』という感じでやる方法はあるんじゃないかと。今回『使われている』自分を映して映画を作ったことで、ある種、逆転して『使ってやったぞ!』と。監督としてはそう思うのですが、主人公の青柳はそこでもがいていますね」
身を挺して撮った体当たりの映画。帰宅した時には10kg痩せていたという。
「最後6月20日に家に帰って、おばあちゃんと話したりして、最初の撮影では終わった感がありすぎた。だけどコロナは続いているし、なにも終わっていない。僕だけが終わっていいのかと自問して、最後のシーンを改めて撮りました。社会と向き合っていく意思を表明したかったのです。使い捨てを実感しただけの、このままの俺ではいけない。コロナ禍を通して、社会の状況を自分事として実感した時に、システムに対してちゃんと言うべきだ、違和感のままにしないで、最低でも向き合うことを表明すべきだと」
偶然の出会いで知った「東京は焼け野原?」
自分から声を掛けることはしなかったが、声を掛けてきた人はいる。池袋の近くの公園で何度か出会ったおばあさんもその一人だ。
「僕がベンチで休んでいると『昔はね』と声を掛けてくる。ちょっと認知症気味だったのかもしれませんが、繰り返し繰り返し戦争の時に焼け野原になった東京の話をする。昔ドキュメンタリーを撮っていたので、記録としてこういうおじいさんやおばあさんの話は大事というアンテナが立って『撮らせてもらえませんか』と声を掛けた。その時は映画に使うつもりはなかったんです。でも編集の段階で見直した時に、今もコロナが続いていて、なし崩し的にいろいろなことが続いていく中で、違和感がありながらみんな動き出せない状況がずっと続いている。そんな中で自分のことしか考えていない人が増えていったら、戦争というよりも、もはや戦中? 実際に焼け野原じゃないけれど、心が焼け野原なんじゃないかなと思って、自分の危機感とおばあさんの話がつながった。新しい生活様式とか、安心・安全とか、薄っぺらい言葉が横行する大変な世の中だし、何のためにやっているのかがもうわからなくなっている。僕は若いからこそ、青いから言っちゃう。心が焼け野原なんだと。大げさかもしれないけれど」
2021年7月、東京五輪の開幕を控えた今もコロナ禍は続き、もっとひどくなっている。
「僕が映画を撮った時の不安定な状況がずっと続いていて。みんなが闘っていると思う。僕はこの映画を撮ることで一つの発見があった。主人公青柳も『ここで生きていく』ということを見つけたと思う。だからこの映画が現代を生きていくための事例になればいいなと思っています。コロナ禍で闘っているすべての人に見てほしい」
インタビュー中、横で聞いていた大澤プロデューサーは「会心の映画ができたと思っています。いろんな意味で会心の映画です。一人の若者の成長。コロナ禍の東京を、外で動きながら必然性をもって撮った。コロナ禍であふれ出たいろんなひずみが描かれている。青柳くんのキャラクターで面白い映画ができました」と太鼓判を押した。
【公開日程】7月24日(土)から大阪・第七藝術劇場で公開。24日と25日(日)14:20の回終了後、青柳監督のトークショーがある。8月、京都・出町座で公開予定。
「東京自転車節」公式ホームページ http://tokyo-jitensya-bushi.com/
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