恋人たちの繊細な心の機微を描いて熱烈な支持を集める今泉力哉監督の最新作「窓辺にて」が11月4日(金)から全国で公開された。稲垣吾郎を主演に迎え、妻の浮気を知ったが怒りの感情が湧かない夫を軸に描くオリジナルラブストーリーだ。キャンペーンで来阪した今泉監督にロングインタビューをした。
*以下のインタビューにはネタバレ情報が含まれています。
【今泉力哉監督ロングインタビュー】
――見る前は143分という上映時間にビビっていましたが、一切長く感じることなく、作品の世界に引き込まれました。
10年ぐらい前、もし妻の浮気を知ったとしても自分には怒りや悲しみの感情が湧かないかもしれないなと思ったことがありました。それを映画にするとしたら40代、50代の夫婦の話で描きたいと思ったけど、その時、僕はまだ31、2歳。当時、とある映画祭で行定勲監督と話す機会があって、そのアイデアを伝えたら、「ちょっと今泉くん、何歳なの? 若くしてそんなに達観していたらやばいよ」とか言われ……だけど、歳をとった今なら、その感情について描けると思って。
浮気や不倫だけでなく、小学校の卒業式でみんな泣いていても自分は泣けなかった。撮影の直前に父が亡くなったけれど、泣くまではいかなかった。すごくうれしいことがあっても、それを羨む人がいることを考えると、手放しで喜べなかったりする……。そんな「感情が乏しい」とされる中身について、映画にしたかったんです。
今回、稲垣さんと映画を撮ることになった時、稲垣さんって感情をあまり表に出さない印象があったので、昔、自分の中で思った感情を使えるかもと思って、話を書きました。そんな悩みって誰に相談したらいいのかもわからない。相談する相手を探す旅のような側面もある話を稲垣さんがやったら面白いかなと思いました。
――稲垣さんご本人も今年49歳ですね。
ええ。脚本を読んでいただいた後、衣装合わせの時に初めてお会いしました。全く理解出来ないと言われてもおかしくないと思っていたけれど、「知っている感情です」と言ってくださった。「何かあった時に僕もよく『もっと怒ってもいいんだよ』と言われるけれど、まあまあってなっちゃうんだよね」と。やっぱり稲垣さんでよかったなと思いました。
――親和性があったんですね。
はい、公開に向けて取材を受けてお話しした際にも「僕が言いそうなセリフがあちこちにあって。パブリックなイメージでない自分を知られたというスピリチュアルな体験をしてちょっと怖い」みたいなことをおっしゃってくださった。僕はそんなに稲垣さんのことをわかっていないんですけど、役としてすごくやりやすそうにしておられた。
――ひとつの色に染まらない人というか、複雑な感情が内側にあって、どれか一つをバンと表に出すことが上手じゃない人なんじゃないかなという感じがしますね。
そうですね。もちろんそれは、愛情がないとかいうことではなくて、本当に見え方の差なわけで。主人公は多分、奥さんとのやり取りの中では悩むけれども、自分一人の中では悩むこともない。それでもいいと思っている人間はきっといると思う。だけど、相手がそれで辛い思いをするのであればと考えてしまったりする。それが稲垣さん演じる市川茂巳の悩みかなと。
――奥さんとセックスレスなわけではない?
そこはわかんないですね。レスな気もします。子どもがいない40代夫婦の関係と、子どもがいる40代夫婦とでは、また違うと思います。この映画を見た人にはどう見えるのかな。奥さんが外で浮気したりしていることを含めて。どう見えました?
――私はレスなんじゃないかと思って見ていました。というのは、そういうところではないところでつながっているご夫婦に見えたから。だから、別れる必要って本当にある?というところもあります。でも奥さんの側に「夫に知られてしまったからには、これまでと同じ2人ではいられない」という感情が多分生じたであろうから、彼はそれをおもんばかって離婚届を出してきたのではないだろうかと。彼は別にどっちでもいいと思っていると思います。
面白い解釈ですね。本当にこの物語は脚本を書いた時に、別れさせたほうがいいのか、継続させたほうがいいのか、すごく迷いました。最初は別れない方で書いていて、そのプロットの隅に「二人は別れるというのもあり?」とメモ書き程度に書いていて。基本的に僕は「こういう物語ってこうなるよね」じゃない方を選択したくて。
今回、この夫婦の話だけでなく、劇中の留亜が書いた小説にも「手放す」「手放さない」の話とか、スポーツ選手がもうすぐ引退しようと思っているとかの話が出てきます。
やめる、手放す、後悔するって、基本的にはマイナスでネガティブなことと捉えられているけれど、実は継続することと同じぐらい悩んだ末に出している結論なんじゃないかと。手放したからこそ次に進めることもあるし。なんでもそうなんですけど、これがマイナス、これがプラスではなく、もっと曖昧なものではないか。そこはやりたかったことのひとつですね。
――なるほど。
意識していませんでしたが、稲垣さんのセリフで「理解されない方がいいこともあるよ」という言葉があります。「理解とか期待とかって、どうしても裏切ることになるから」というセリフ。あのセリフを現場で稲垣さんが言った時、SMAPでの活動含め、今までの長い芸能生活の中で、自分には想像もつかないような期待やとんでもない数の視線、想いを浴びていた方だから、必要以上に心がザワザワしましたね。深みというか。これを稲垣さんが言うとこうなるのか、という。
――何かがオーバーラップしてくる。
普通の人が想像できる量じゃないものと向き合っていた方が演じることで、言葉の重みが変わるというか。ひとつ、乗っかる感じがしました。でもあそこのシーンは返しで久保留亜役の玉城ティナさんが「人と人とは信頼することでしかつながれないと思う」という言葉を伝える。感覚として、茂巳はそういうことを理解していくキャラではあるので、単純に理解とか信頼がいけないものだと否定的には言っていないですけどね。
――ある人や行為が「理解できた」というのはおこがましい気がします。だけど、理解しようとしていますという姿勢を見せることはつながることの第一歩では?
茂巳は元小説家で、奥さんが編集者でガッツリものを一緒に作っていた関係ですけれど、奥さんのキャラ設定にはすごく迷いました。例えば僕の奥さんは映画を作ったり脚本を書いたりしているんですけれど、僕の作品の熱心なファンではありません(笑)。一番ヒットした映画「愛がなんだ」もいまだに見ていない。でも、その関係が非常に心地いい。ある程度興味を持ってくれていない方が気楽にいられる。そういう意味で、この市川という夫婦は、ガチガチに一緒にものを作った経験があった上で、もう今は小説を書いていないので、そこは恋愛感情だけでなく複雑な感情が渦巻いているというか……
――同志ですね。
しかも茂巳があれだけ繊細な感覚の人だから。奥さんは懐に入りにくかったり、お互いに変に気を遣い合ったり。
――奥さんは彼の担当編集者だったという設定なんですね。
はい。1冊目の。しかもその本の題材は昔の恋人だったりする。だから彼女は、何かしら自分と共に過ごしている時間から生まれたものを多分、見たかった。だから一緒になってから書かないという行為は結構、彼女にとっては辛かったのかなと。
――かなりこたえているでしょうね。
でも、彼の「書かない」という行為はきっと彼女とは何も関係がない。彼はその1冊を書いて満足して終わりだっただけで、彼女には何の非もない。けれど、やっぱり自分に何か非があるのかも、というふうに考えてしまうというか。
――全く書いていないわけだから、そこは「彼のミューズになれなかった自分」みたいな……
ミューズというか…いや、決して自分について書いてほしい、ということじゃないんです。例えば二人が一緒に過ごす時間の中で感じた日常のこととか、思考から生まれた何かでいい。でも、共に過ごしているのに、創作というところに向かない彼の心が編集者の妻としてはつらいというか……
――そう。だから触発する。彼女のことを書く・書かないではなく、彼の芸術的な……
支えになっていない。と思い込んでしまっているのでしょうね。
――彼の中の何かに火を点ける着火材になれなかったということが、彼の作品も好きだったから悲しい。悲しいから何となく遠慮がちな夫婦関係になっていったのでは?
それだけじゃないんでしょうけどね。で、その間に自分の担当する若い作家と体の関係ができた。そっちも創作の相談をしているうちに多分そんな関係になってしまった。ただ愛情はダンナの方にある。だから向こうの彼もつらい。
――そうですね。
浮気や不倫がたくさん出てきますが、この作品は別に誰も浮気や不倫を楽しんでいません。基本的によくないことというのは前提ですが、政治家や芸能人のスキャンダルが発覚した時に、人生終わりかの如く糾弾されているのは、浮気や不倫している時間が楽しいものとみんなが捉えているから激しく責められているんじゃないかと考えて、ここに出てくる当事者たちは「こういうの、よくないからやめよう」と悩んだり、罪悪感を感じたり、全く楽しくない時間を過ごしている。そういう瞬間を描こうと思いました。芸能人の熱愛スクープとかで、朝までホテルにいた時などに、「そういう関係じゃない。朝まで一緒にいたけどずっとゲームしてました」とかいうのあるじゃないですか。あれ、本当なわけないけど、本当の可能性だってあるわけで。なので、「朝までトランプ」ってシーンをいれました(笑)。本当にただ遊んでいるだけ。
――大人になり切っていない留亜ちゃん。だけど妙に鋭いところがある。
完成披露発表会で久々に玉城さんとお会いした時、彼女が「23、4歳で高校生を演じたけど、今の自分じゃなくて、自分が若かった時に言っていそうな言葉が脚本にあった」と話していて、それは嬉しかったですね。
――終盤、留亜の金髪の彼が、茂巳の感情や考えを「サイコパスだ!」と全否定する場面!
主人公のグダグダした個人的な悩みをよく理解できない人が最後に出てきて、この作品を全否定する。志田未来さんが演じたスポーツ選手の妻が「浮気されたのに怒りが湧かないなんて、ありえないよ!」と言う。そっち側の一番純粋な代表が最後に出てくる優二で「全然意味わかんない」「サイコパスだ!」と言う。多分、この映画を公開したらきっとお客さんでもそういう人はいると思うから、この映画や茂巳の気持ちを「わからない」という視点は作っておきたかったんです。でも、彼が歳を取ったらわかるのか、それとも40歳になろうが50歳になろうがそのまま純朴でいるのか、そこはわからないですけれど。
――健全ですよね。
そう、だから怖いですよね。その真っ直ぐさ、大丈夫?みたいな。でも留亜にとってはすごく魅力的な人で。留亜の書いた小説、意外と難しくて読んでいないみたいな距離感があるから付き合えるのかなと。
――留亜は留亜で、鋭い方にばかり行ってしまったら、壊れてしまうような鋭さがある人かも知れないので、意外とこういうあっけらかん男子といた方が……
創作していて救われると思いますね。彼女の小説を読んでないあの距離感が彼女にとっては大切な気がします。
――矛盾しているけれど、パフェを頼んで食べて後悔する、とかもよかったです。
そこ、書いている時はあまり気づいていなかったんです。その、後悔について、が夫婦の別れとかさまざまな悩みや後悔につながるってことに。あるプロデューサーに「パフェがある種パーフェクトという言葉なのに、結局胃もたれして後悔するけど頼んでしまうということと、恋愛の後悔が重なっているんですね」と言われて、あ、重なってた?と。何でも完璧なもの、これがいいとされているものへの疑いが自分の中にありましたが、その辺りは細かく計算して書いてはいないんです。この作品に限らずですが、映画って監督の意図よりも見る人が勝手にどんどん膨らませてくれる気がしています。
最後も金髪の彼がやってきて、ある種ほのぼのと終わっていますけれど、もっと前段階で考えたラストシーンでは、離婚届を出しに行こうとしたら、金髪の彼がバイクで走って近づいてきて、バットかなんかで殴られて主人公が怪我をするというもの。よくわからない外的要因で別れることを邪魔されて、ある種、救いにもなるというか。別れずに済むのですから。で、病院に入院しているところに奥さんとお義母さんがお見舞いに来て、おにぎりを食べるという……
――もし彼が暴力を振るってしまったら、彼が悪い人になってしまう。この映画には悪い人は一人も出ていない。普通の人が普通に暮らしていて、たまたまそうなっちゃってる。お互いに不倫相手も含めて相手のことを案じているし、悪い人が一人もいないから見ていて気持ちがいいんだと思います。
まあ、それはそうかもしれないですね。
――それに別れたからこそ余韻が残る映画になっていると思います。複雑なストーリーをどのくらいで書き上げたのですか?
2020年10月に1回目の脚本を書いて、最終的な脚本は21年2月かな。プロットから脚本になるまで3、4カ月。プロットが決まるまでも3カ月から半年ぐらい。もっとかなあ、覚えてないです。結果、お話をいただいてから1年か1年半ぐらいやっていたかもしれません。21年6月に衣装合わせして、7月に3週間ぐらいで撮影しました。暑かったです。金髪の彼に会いに行くシーンの日は特に灼熱の中、撮ってました。
――絶滅危惧種のようなステキな喫茶店が出てきました。
東京にはまだまだ存在しますけどね。全部で3つ出てきます。いわゆる純喫茶。自分も脚本作業はほとんど喫茶店でやります。子どもがいるので家ではできないし、ある程度のノイズ、他者の声や視線があるほうが集中できるんです。
――若い売れっ子作家の荒川が「書いたら過去になった」と言ったシーンも痛かったですね。
あのシーンは脚本執筆の最後の方に生まれました。妻に脚本を読んでもらった時に「市川と荒川は会わなくていいの?」と言われて。「え、会える? 会って何を話すの?」と思ったけれど、喫茶店で会っている二人がどういう会話をするのか想像しながら書いている時に「これってもしかしたら書かなかったことが愛情ということもあるのかな」と思いついたら、書きながら自分でグッときました。市川が本当にそう思っていたかどうかはわからないけれど。
特に映画という表現は、撮り終わった瞬間から過去になっていく媒体、などと言われています。記録とは全部そういうもの。演劇は演じている場と鑑賞する場が同時間だけど、映画や写真は過去になっていく。小説も。創作物にはそういう宿命があります。本当に大切な感情や想いって、さらけ出すべきなのか。それは創作に使わない方がいいのか。そういう悩みは自分で作っていても常にあります。書いた・書かないということが、もしかしたら愛情につながるのかもというセリフを思いついた時は、書きながら謎の感動がありつつ、これはつらいなあ、お互いにつらいなあと思いましたね。泣きそうでした。
――市川が荒川に会いたいと言われた時に、会わないという選択肢もあった? 多くの男の人は「絶対イヤ」と言うかなと思いますが、行くのが市川なんですね。
そうですね。市川はそこで逃げないでしょうし、なんなら知りたいんじゃないかな。奥さんと過ごしていたその人が、どういった感情で自分に連絡してきているのかを。会った時も市川は穏やかにしていますが、どうやっていても相手には圧になるじゃないですか。すごく自然に、第一声が「読んでますよ」みたいな感じで話す。あれが一番怖いなと思って。
--ビビりますよね。市川紗衣さん役の中村ゆりさんは難しそうにしていましたか?
「本当は脚本を読んだ時に全部の気持ちがわからなければならないんだけれど、稲垣さんと対峙した時に本当に言葉が欲しかったり、寂しかったりしたんだ、愛情が欲しかったんだということを思った」と言っていました。僕は相手と向き合ってその感情に気づけるって本当はすごくいいことだと思います。
稲垣さんと中村さんと夫婦で向き合ってしゃべる長回しのシーンがあるんですが、あそこも最初のテイクでOK出してもいいけど、もうちょっと行けそうという感じがあって。二人とも俺が温度の高い芝居を好きじゃないことを知っているから抑えたトーンのまま最後までいって。それでも成り立っていたんですけど、もしかしたらもう少し感情が出てもいいのかなと思って。そこで中村さんの方にだけ「もうちょっと感情的になってもいいかもしれません。それを1回見たいです」と言ってやったら、中村さんにつられて稲垣さんの感情も溢れて。それがこの映画に残っている芝居になりました。稲垣さんは脚本よりも3つぐらい多くセリフを発しています。彼女に気持ちを伝えようとして自然とそうなったんだと思います。
台本にあるセリフを一言一句変えずにやってほしいという監督もいると思うのですが、僕は本当の感情で相手と向き合うという状況のほうがうれしくて。でも、公開に向けての取材時に稲垣さんと会った時にその話をしても「あ、そうでした?」と。
――覚えていない。無意識のうちに応答している。役を生きているということですよね。
そうなんです。あそこのシーンはゾーンに入っていた。そのぐらい、この映画にとって「これが撮れたから映画になったなあ」というシーンです。
――ズバリこの映画のテーマは?
テーマ……難しいんですよね、これ。テーマを設定して映画をつくったことがないので。愛情というものが目に見えないけれども存在しているというか。目に見えるものだけが存在しているわけではなくて、目に見えないところに本当の愛情や気持ちがある。そういうことは伝えたかったのかも。
――先ほど監督は時間を描いているとおっしゃいましたが、目に見えない時間に漂っている。時間の中にしかない、つかめないもの。流れていくもの?
つかめないし、つかまえたと思っても、本当につかまえているかわからない。
もう一方で創作についての悩みも描いています。佐々木詩音さん演じる荒川が、ずっと書かないでいたものを書いてしまったとか。そんなに何かを失わないと、ものって作れないの? 確かにそれでしか面白いものって生まれないのかな、とか。自分でも小手先で作って面白いものが生まれるとは思えないから、やっぱり創作って削られるなと。
――命を?
そうですね。命やら時間やらいろんなことが。もの作っている以上はしょうがないことですけれど。
――ツルの恩返しの機織り場面のような「見ないで!」
そうですね。作るのって苦しいですし、つらい作業だっていつも思います。「創作していてどの時間が一番楽しいですか?」とよく聞かれますが、別に脚本も現場も編集も別に楽しくない。もちろん、個々の小さな楽しみはあるんですけれど。いいセリフや感情が書けた時とか、さきほど話した稲垣さんと中村さんの芝居に立ち会えた瞬間とかは、すごく喜びですけれど。自分が一番喜びを感じるのは、映画を観客が見た瞬間。上映時ですね。届いた時の喜びのために作っている感じです。現場も映画作りも大好きというよりは、できれば作らずに家で寝ていたい側の人間なので(笑)。
――えー、でも多作じゃないですか。
だからそれも勘違いされるんです。「ストックいっぱいあるんですか?」「伝えたいものとかいろいろあるんですか?」とか。いろいろ聞かれるけれども、ストックも伝えたいことも、やっていく中で生まれてくるもので。作る過程で浮かび上がるんです。
僕は映画作りを特別なことだとは思っていません。創作ってとても怖い行為です。人に与える影響、自分に与える影響。作ることに付随する怖れを忘れたくないんです。だからこそ、作るならつまらないものは作りたくない。あ、でも今は小説を書くことに興味があって、ある編集の方に声を掛けていただいているので、そこで1作目を出すことは決めていますが、なかなか。うーん、やっぱり創作が好きなのかもしれませんね。
――楽しみですね。ありがとうございました。
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