今年デビュー60周年を迎える藤竜也さんが主演する映画「高野豆腐店の春」が8月18日(金)から公開される。本作は、「村の写真集」(05)、「しあわせのかおり」(08)で藤とタッグを組んできた三原光尋監督が、再び藤さんに熱烈なオファーを送って完成させた作品。広島・尾道を舞台に、豆腐屋の主人の辰雄(藤)と娘の春(麻生久美子)の悲喜こもごもの人生をユーモラスに描いている。藤さんと三原監督が来阪し、大阪市内で記者会見を開催。その模様と、藤さんの単独インタビューをお届けします。
映画は藤さんへのラブレターで、人間賛歌の3部作
―まず「高野豆腐店の春」を作ることになったきっかけを教えてください。
三原 僕はよく撮影に行くとき、朝の4時半ぐらいに家を出て駅に向かうんですが、真っ暗な商店街の中にお豆腐屋さんだけ、明かりがポッとついてるんです。お店から湯気が出ていて、僕らだけではなく、こんなに朝早くから働いている人がいるんだと。もともとお豆腐が好きやったんですけど、お豆腐屋さんっていいなぁとますます思ったんですよ。
お豆腐はお水と大豆とにがり、それだけで勝負している。僕も歳を重ねていくと、過剰にものを足していったり、もっとこうしたいとか色んな物語を考えていくんですが、シンプルな豆腐みたいな映画を作りたいなと思う時があるんです。それを人にしゃべっていたら、「豆腐の映画作ったらどうや」と言われまして。あ、そうや、作ったらいいんやと思ったのが最初のスタートです。いつもそのお店には豆腐屋のおやじさんと奥さんがいる。そこで藤さんの働いている姿が勝手に浮かびだしてきて、勝手に物語が動き出し、頭の中で一本、映画が出来上がりました。
藤 3年ぐらい前に、三原さんからシナリオを送っていただいて、「映画を撮りたいんですけど、いつになるか分からない」というお話でした。過去に三原さんとご一緒した2本の作品と変わらず人間賛歌が描かれていて、僕は人生をポジティブにとらえた映画のほうが好きなんですよね。何年でも待ちますから、ぜひ撮ってくださいと伝えました。意外と早く実現しましたね。
三原 3年かかりました。ちゃんと製作費や態勢が整ってから、藤さんに会社を通してアプローチするのがルールやと思ったんですが、ちょうどコロナ禍が始まった時で、世の中で誰とも会えなくなって、僕自身、もう一生映画は作れないかな、この先どうなるか分からないと思ったんですよ。何のあてもない藤さんへのラブレターですね。自分が思い残すことのないように、プレゼントするだけでいいから藤さんにはお渡ししたいと思って。藤さんはすぐラブレターに返事をくださって、本当にうれしくて「何年かかっても絶対、映画にしよう」という思いが沸き立ちました。
藤 三原監督と僕との人間賛歌の3部作品になる。ぜひ、参加させていただきたいなと思いました。キリがいいじゃないですか、3部作って。しかも20年近くもかかっている(笑)。それ自体がロマンティックですよね。
藤 でも先日監督が、85歳ぐらいになったらまたと(笑)。
三原 もしこの映画がヒットしたらと自分の中で欲が出てきまして、4部作もいいなと(笑)。僕は時間がかかるタイプで、すぐにはシナリオを書けないんですが、その時に最高の藤さんで撮らせていただけたらと思いますね。
藤 なんとかそれまで生きていたらいいですね(笑)。
豆腐を作るシンプルな過程は映画を作ることと同じ
―映画で、芸術作品のように豆腐を作るシーンが印象的でした。
三原 実際のお豆腐屋さんを使用させてもらいまして、そこのおやじさんが今回参加して、指導からやってくださった。特に豆腐を作る姿勢がすごく勉強になりました。過剰なことをするわけではなく、前の日から仕込んで、攪拌して絞って、豆乳を作って、にがりを入れてという過程を丁寧にしておられたので、僕らもそれを丁寧に作ることがこの映画には必要なんじゃないかと。それと同時に父と娘がその作業を共有していく時間の大切さと、二人の営みを見つめていくことが映画になると思って、かなり力を入れて描きたいと思いましたね。
藤 僕は俳優ですから、豆腐屋のおやじさんの腰の位置から手をどこにかけて、どんな表情でするかまで、一回見ると全部頭の中に入っちゃうんです。彼が毎日毎日やっていることを、僕も一週間ぐらい繰り返したいんだけど、今回は時間がないからとにかく必死でした。どんな指で豆腐をつかんで、どうしているのか。おやじさんの肝をつかんで食っちゃいたいぐらいの気持ちで、ものすごい勢いで吸収しました(笑)。
―ご自身で、いつかお豆腐を作ってみたいという思いは?
藤 料理が好きで豆腐はよく使うんですが、僕は今回、作らなかったんですよね。監督は作りましたね。
三原 けっこう、マイスターになるぐらい作りました。
―「豆腐はやわらかくて甘くて、にがくて、お父さんの人生そのものだ」というセリフがあるんですけど、藤さんはデビューして60年です。このセリフと重なるところはありますか。
藤 いや、僕は実際はつまんない男です(笑)。麻生久美子さんが素敵に演じてくださいましたので、二人の関係が作品の中でよく出ていると思います。それは感謝しています。
―藤さんは尾道のロケハンに同行されたそうですが、役作りに生かしたことは?
藤 やはり現地の空気を実際に吸うと全然違うんです。三原さんの前で言うのも照れくさいんですが、僕は感情移入がものすごくできるほうでして、辰雄のバックグラウンドやヒストリーで彼との絆をすごく感じました。僕は今年で82歳になるんですが、父の任地の中国で生まれ、引き揚げてきて、敗戦後の横浜を見ました。どこかで戦後を背負っている最後の世代なんじゃないかと。辰雄もそうですよね。広島とは歴史のありようが違うのかもしれないですけど、感じるところがあり、感情移入が深くできました。
三原 夢のようなロケハンでしたね。「おのみち映画資料館」がありまして、小津安二郎監督が書かれた言葉などが色々と残っているんですよ。それを見るだけで僕もここで撮りたいと。小津監督が「東京物語」を撮られた同じような場所で僕らもロケをさせてもらい、巨匠が撮ってきた場所は、そこに描くべきものがあった場所だったんだと改めて感じました。小津監督の「僕の作品はセンセーショナルなことや激しいこと、時代の大きなうねりを描いているのではなくて、小さな家族の物語ばかりだけど、そういう映画がこれからもあってもいいんじゃないか。そういう映画を作っていきたい」みたいな言葉が書いてあるんです。僕も末端なところですけど、藤さんと一緒にこの作品で人や家族が暮らしていくことを見つめていきたいなと思いましたね。この言葉にすごく勇気をもらいました。
現場では辰雄という男に体を貸しているだけ
―藤さんが「東京物語」の笠智衆さんとかぶるようなシーンがあったんですが、そこは意識されたのですか。
三原 意外としていないんですよ。撮るのに精いっぱいで、藤さんと麻生さんの親子が本当に素敵で、シナリオに書いた言葉以上のものを二人が現場で作り上げてくれて、演出って無力やなと。素晴らしい俳優さんを目の前にしていると、僕らはただ現象をカメラマンと撮っていくだけなんじゃないかと思うぐらい、日々喜びを味わっていました。それが最後のシーンにたどり着いたんです。藤さんと麻生さんがシナリオからくみ取り、それを自分たちの中で大きく表現してくれた。本当にうれしくて、感謝ですね。いいスタッフもいたおかげで、あのラストが出来たんじゃないかなと思います。
―藤さんはどこかに「東京物語」のシーンがダブったりしたのですか。
藤 全然ないですね。さっきも言ったように、感情移入しやすいシナリオを書いてくださったので、現場では辰雄という男に僕の体を貸していただけで、何をどうやろうなんて意識していないんです。始まったら、辰雄が私の体を借りて勝手にしてくれている。最後のシーンは本当にものすごい感情がこみ上げて、押さえつけるのがとても大変でしたね。生きていることへの感謝をものすごく感じました。
―悪友仲間とのかけあいで、辰雄が多彩な表情を見せるところがチャーミングでした。
藤 大阪出身の方が多くて、その中で僕が安心してあっち行ったりこっち行ったりしていました(笑)。テストをあまりするとつまんなくなっちゃうから、ほとんど一発本番ぐらいの感じで、新鮮なうちに監督にいいところをサッと撮ってもらえるのが良かったです。でも演じながら噴いちゃいそうでした(笑)。辰雄の何がうらやましいって、ああいう悪友仲間がいるのがうらやましいですね。あんな友人たちがいたらいいですよね。
三原 今回は藤さんのチャーミングなところを撮りたいなと意識はしていました。今までの主人公は孤高の人物で、孤独を背負っていたりして、3本目となった時に、今までと同じようなキャラクターで同じ見せ方をしたら意味がないので、違うアプローチをしたかったんです。僕も現場で藤さんの面白くてチャーミングな面を見ていたので、そこを撮りたいなと。
―最後に大阪の観客にメッセージをお願いします。
藤 僕は毎朝、豆腐のみそ汁を飲んだ後に、ため息が出るんですね。不思議に何回飲んでもそう。皆さんもご覧になったら、そのホッとした感じを味わえると思います。「いいんだよ、これで。こうして毎日一生懸命生きているのは間違ってないんだよ」って思ってくださったらいいなと思います。
三原 僕は映像を作ることを大阪からスタートした人間なんで、藤さんと映画を撮れて、大阪に帰ってこられて本当にうれしいです。大阪がなかったら映画が作れなかった人間で、皆さんに応援してもらったからこそ、今日があります。20年近くかけて藤さんと3本目の映画を作ることができました。ぜひ、見てください。
☆記者会見の後、藤竜也さんの単独インタビューを実施。「体を貸しているだけ」という役者観や仕事観について、さらに詳しく語ってくれました。
【藤竜也単独インタビュー】
仕事は、ああビール飲みたい!と思う状況が一番
―映画で辰雄が「生き抜いて、生き抜いて、ああいい人生じゃったと笑って振り返れるよう、幸せにならんと」というセリフも素敵でした。あのシーンはどんな思いでしたか。
体を貸しているだけですから、どう言おうとは考えないですね。すべてを辰雄に任せちゃっているんですよ。
―それでは、藤さん自身が生きぬくために大切にされていることは?
まぁ、家庭というものを大事にしたいですね。妻に「ありがとう」「ごめん」というのをよく言うようにしています。「ごめん」のほうが多いんですけどね(笑)。僕自体は辰雄のようではなく、何でもない人生ですから。辰雄は色んなことを抱えながら、あんなに生き生きと跳ねまわってうらやましい男ですよね。
―体を貸しているだけだとおっしゃっていますが、どの作品でもそうなのですか。
若い時はそうでもなかったんです。あれやろう、これやろう、ここでこういう風にしてやろうと思って演じていました。50歳になってからかな、少しずつ変わってきましたね。60歳になって、何も分からなかった時代から、段々目鼻がつくようになって。刑事ものやエンターテインメント性のある作品のお仕事を次々といただいた時期は、「どこ向いても藤竜也でいいじゃない」と思ってやっていたんですよ(笑)。でもそういうのはどこかで終わるんですよね。そうすると今度は、何とかして役の中に入り込もう、入り込もうとするんですが、今は逆に役に乗っ取られちゃいましたね(笑)。でもそれがいい。もう、乗っ取ってくれという感じですよね。
―撮影が終わって家に帰ったらいつもの藤さんに戻っているのでしょうか。
僕は戻っているつもりですが、いくらか雰囲気が違うかもしれないですね。少しは引きずっているのかもしれません。ずっと引きずっていたら家庭がおかしくなっちゃう(笑)。
―60年役者をされていても、いつも現場は怖いそうですね。
怖いですね。
―それは乗っ取られるからでしょうか?
その気持ちよさと気持ち悪さの両方があります。映像は観客がいませんから、現場で監督に納得してもらうしかない。納得してもらえればそれで終わるんですけど、監督を失望させてはいけないし、作品全体にネガティブな影響を与えてしまうんじゃないかという恐怖ですね。自分が役に入り込んでいなかったり、理解ができていなかったり、演じている時に、半分藤竜也がいたりしたら冷めきっちゃうわけですよ。
―60年も続けてこられたのは、本当にすごいことだと思います。
長く俳優をできたモチベーションというのは、仕事をあんまりしないというか、正直言って、今はそんなにたくさん仕事はありませんから、のんびりとしたペースでやれたことですかね。一本仕事が終わると、お腹いっぱい感がありまして、しばらく喉はかわいてないよ、もうビールは飲みたくない。でも夜になったらやっぱりビールが飲みたいという感じ。仕事をビールに例えたら悪いけど(笑)。僕らプロですから、「ああ、ビール飲みたい!」という状態でお金をいただくのが一番いいんですよ(笑)。
―僭越ながら、おっしゃることは分かります(笑)。台本は終わったら破り捨てるそうですね。
そうなんですよ。
―例えば今回の辰雄も含めて、役は自分の中に残っているものなのですか。
ものすごい長い間役を演じてきたので、レイヤー(層)となってそれは残っていると思いますね。
―藤さんの代表作はたくさんありますが、ご自身の過去の作品を振り返って観られたりはするのですか?
しません。一回、体を乗っ取られているので、見ていて何か嫌ですね(笑)。
―「一年に一本は、これだと思う作品に出会いたい」と言われています。「高野豆腐店の春」はまさにその作品だったと思いますが、今後は?
自分が一番気持ちのいい映画は、こういう人間賛歌の映画です。でもずっとそれをやるのもどうかなと思うわけなんですよ。やっぱり斜に構えた懐疑的な、ネガティブな部分に光を当てる役もやっていて面白いですよね。気持ちがいいのとは違いますね。そういう役で代表作になるのもこれから出てくるかもしれません。その時に、また取材していただけたら(笑)。
取材・文 米満ゆう子
映画「高野豆腐店の春」公式HP