テレビ番組のドキュメンタリー映像を多数手がけてきた葛山喜久(かつらやま・よしひさ)監督の初めての劇場公開映画「岡本太郎の沖縄」が、11月24日(土)から首都圏に先駆けて関西で公開される。
このドキュメンタリー映画は、「太陽の塔」などの代表作で知られる稀有(けう)な芸術家・岡本太郎(1911-1996)が、59年11月半ばから12月にかけてと66年12月に沖縄を旅した足跡を、太郎自身が撮影したモノクロ写真と、過去の沖縄の映像、現在の沖縄の映像を交えながらたどっていく。第2次世界大戦が始まる10年前の29年に渡仏した太郎は、1930年代のパリでジョルジュ・バタイユらとともに前衛芸術運動を展開し、40年に帰国。戦後は日本全国を旅して、自らのアイデンティティーを探し求めた。沖縄は、太郎が最後にたどり着いた場所だった。
葛山監督は2000年に出版された写真集「岡本太郎の沖縄」を見て、衝撃を受けた。「太郎という芸術家は、絵画や彫刻だけでなく写真も撮れる人だったことに、まず驚いた。そして、その写真集を見ているうちに、沖縄に行きたくてたまらなくなり、何度か足を運んだ。しかし、太郎が見た沖縄は60年前の沖縄で、今ではすっかり変わってしまっている。沖縄は、中国や台湾から年間14万人の外国人観光客が訪れるリゾートアイランドであり、ニュースに取り上げられる沖縄は、基地の島として右や左の論議の的だ。そこに本当の沖縄の姿はあるのか? 太郎は『沖縄には真の日本がある』と書き残している。太郎が見た沖縄は、どんなものだったのか? そもそも沖縄って何なんだ?」
葛山監督はそんな問いを抱えながら、映画の中で過去と現在を自在に行き来して答えを追い求めていく。那覇、首里、糸満、金武大川(キンウッカガー)、読谷闘牛場、竹富島、大宜味(オオギミ)・喜如嘉(キジョカ)、久高島……。ドキュメンタリーの映画なのに、大いなる問いに導かれた旅は、いつの間にかサスペンスのようなスリルを帯びていく。旅のナビゲーターとして、ナレーションを担当しているのは俳優の井浦新。抑えた口調の中に宿る静かな情熱の火が、見る者の気持ちを少しずつ高めていく。
「何もかも変わってしまった沖縄、変わりゆく沖縄の中に、変わらない沖縄もあった。太郎が読谷闘牛場で撮った写真に写っていた少年たちに会いたいと言うと、2日後に来てくれと言われ、行くと初老になった彼らが集まっていた。喜如嘉で撮った写真には、のちに芭蕉布の人間国宝となる平良敏子さんが写っていた。平良さんは今も毎日同じ坂道を上り、芭蕉布を作り続けている」。地下水脈のような人と人のネットワーク、変わらぬ日々の営み……。繰り返される日常は、めまいのうちに“永遠”を想起させるようだ。
スクリーンには、途絶えてしまった久高島の奇祭「イザイホー」もデジタルリマスターで鮮明によみがえる。太郎の写真集の表紙を飾っている女性・久高ノロは、その祭りの最高位の司祭主だった。
葛山監督は言う。「久高ノロの写真は、太郎の写真集の中でも特に魅かれた1枚です。この写真に導かれて映画を撮ったと言っても過言ではない。吸い込まれるような瞳の中に、よく見ると岡本太郎と岡本敏子が映っている。見るたびに違って見える。自分の内面を映し出す鏡のようだ」
自らのアイデンティティーを探し求める旅で出会った鏡。太郎も、葛山監督も、沖縄で自分自身に出会ったのかもしれない。
【上映情報】11月24日(土)から第七藝術劇場、京都シネマで公開。2019年1月(予定)から元町映画館。1月以降、順次全国公開。
(おまけのつぶやき)筆者にとっては90年代の大阪で開かれた琉球フェスティバルで、初めて聞いてその歌声に魅了された大島保克が、歌い手として登場しているのもうれしいことだった。沖縄民謡の名手、嘉手苅林昌がかつて歌った同じ場所で、三線を弾く保克の歌声は心に染み入ります。 |