年年歳歳、花相似たり。歳歳年年、人同じからず――。見終わった後の深い余韻の中で、唐の詩人の一節が浮かんでくるドキュメンタリー映画「花のあとさき ムツばあさんの歩いた道」が6月12日(金)から関西で公開される。
埼玉県秩父市吉田太田部楢尾。秩父山地の北の端、群馬との県境にある山あいの集落に、NHKカメラマンの百崎満晴(ももざき・みちはる)さんが通って撮影した18年にわたる記録を112分の映画にまとめた作品だ。放送するたびに大きな反響を呼んだTVドキュメンタリーシリーズ「秩父山中 花のあとさき」の集大成といえば「ああ、あの番組か」と思い当たる人も少なくないかもしれない。
楢尾には縄文時代から人が住み、自給自足の暮らしの中で炭焼きと紙漉き、明治以降は林業と養蚕で生計を立ててきたそうだ。多い時には100人が住んでいたという村は百崎監督が本格的に取材を始めた2001(平成13)年当時、わずかに5世帯。9人の住人たちの平均年齢は73歳。四季は巡り、人は老い、2017年、村はついに無人の里になってしまった。
たゆまない日々の営みが息づく山の暮らし。「花を咲かせてふるさとを山に還したい」と、毎日、山の斜面の段々畑に通って花を植え、手入れを重ねた小林ムツさんと夫の公一さん。急斜面に家を建てるために石垣を築いた先祖に思いをはせ、杉山を守りコンニャク畑で鍬(くわ)を振るう新井武さん……。その淡々とした、しかし地に足を付けた揺るぎない生き様は、街の中であくせく暮らす私にはまぶしく映る。
もちろん、山の暮らしは便利からは程遠いし、一つの集落が消えていく事態は、きれいごとではすまない。楢尾だけでなく、住む人がいなくなった小さな集落は日本全国に一体どれだけあるだろう。原発事故の起きた福島や津波の被害を受けた被災地には、住民たちが帰りたくても帰れない“ふるさと”がある。それぞれの集落にゆかりの人たちの複雑な胸中は察するに余りある。部外者が郷愁だけであれこれ口を出すことは決してできない。
それにしても、日々の営みを丁寧に繰り返す楢尾の人々のたたずまいの何と美しく荘厳なことか。特に何ということもない日常の暮らしは、しかし、かけがえのない日常だ。忘れてはいけない何かを、街なかで便利に暮らす私たちはどこかに置き忘れてしまったのではないか。無人になった村で、コロナ禍の今年の春もきっと花は美しく咲いただろう……。
不要不急の外出を控えてきたけれど、そろそろ映画館で、作品の世界にしっかり浸れる映画を見たいという人におすすめの作品だ。
【上映情報】6月12日(金)からテアトル梅田、26日(金)から京都シネマ、7月豊岡劇場、順次元町映画館 で公開。
公式ホームページ hana-ato.jp