戦後75年の夏が来る。歳月の経過とともに戦争を体験した世代が減って「伝えたい」戦時下での人々の体験が「伝わっていない」ことを危惧する空気が広がっている。本土への空襲、兵役経験者の体験、ましてや唯一の地上戦が行われ当時の県民の3人に1人が戦死した沖縄戦がどんなものだったのか。それを知っている人は少ないのではないだろうか。青春をテーマにした劇映画を手掛けてきた太田隆文監督が初めて撮った長編ドキュメンタリー映画「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」が7/31(金)から関西で公開される。来阪した太田監督に話を聞いた。
僕は1961年生まれ。身の回りで戦争に行った人はいない。祖父は年を取りすぎていて、父は若すぎて徴兵されなかった。子どもの頃に空襲があったという話を聞くぐらいで、沖縄戦については全く知らなかった。
浄土真宗本願寺派(西本願寺)は毎年テーマを決めて平和に関するプロジェクトに取り組んでいる。そこの友人から「沖縄戦についてのプロジェクトがあるので、相談に乗ってほしい」と連絡。西本願寺は以前、原発をプロジェクトのテーマにした時に、原発事故による悲劇を描いた僕の劇映画「朝日のあたる家」(2013年、山本太郎、出演)を上映してくれたことがあった。今回は沖縄で戦争体験者から当時の話を聞かせてもらい、それを冊子にまとめて配るという。「それなら証言をビデオに撮った方が伝わるよ」とアドバイスしたら「監督、撮ってくれませんか?」と言われて、長編ドキュメンタリーを作ることになった。
調べてると沖縄戦での事件や戦闘を掘り下げた作品は数多くあったが、沖縄戦の全体像がわかる映画が意外にないことに気づく。体験者の証言を中心にして、多角的に描こう。僕が沖縄戦を勉強し、現地を訪ね、体験者から話を聞く。出て来た疑問を東京に戻ってから調べ、また沖縄に行く。そんな形で進めることにした。3年間に8回沖縄へ行き、いろいろな方から、いろんな人を紹介していただいた。最終的に体験者12人に専門家8人。地元の人から「よくこのメンバーにたどり着きましたね。皆、著名で、その分野での第一人者ですよ」と言われた。でも、探し出したのではなく、導かれるようにして出会ったと言う感じだった。
昨年12月に那覇で完成披露試写会をした時、一番多かった声は「撮ってくれてありがとう」だった。「沖縄戦の現実が東京や大阪に届かない中で、県外の人が撮ってくれたことがとてもうれしい。ぜひこれで日本全国の人に伝えてください」と言われた。いかに沖縄の現実が全国に伝えられていないか、改めて知った。
体験者ではない自分が撮る映画の意味
沖縄に行くと居酒屋で隣り合った人でも、誰かしら身内を戦争で亡くしている。取材させてもらったある専門家の方。戦後生まれなので、戦争体験者から「お前ら戦争を知らないくせに、研究ばかりして」と言われたことがあったと聞く。でも、彼は言う。「戦争を体験していないから分かることもある。それを調べ記録するのが僕らの使命です」。体験者でも自分が経験していないことは分からない。また、悲しく悔しい、つらい経験をしていると冷静に見られないこともある。でも専門家は、それに縛られず客観的、専門的に見ることができる。そう説明してくれた。それは歴史を知る上で大切なこと。だから僕らも体験者の証言だけでなく、専門家の証言を入れた。多角的に見ることで正確な沖縄戦が見えてくる。米軍のフィルムを入れたのも同じ。そのことでタイトル通りに「知られざる悲しみの記憶」が見えて来た。
アメリカという国を知る映画でもある
沖縄県公文書館に保管されている米軍のフィルムは大田昌秀元知事による「1フィート運動」でアメリカから購入したもの。動画もスチールも膨大にある。その、ほとんどのデータをチェック。米軍はなぜ、戦闘を映像で記録したのか? 単なる記録ではなく、次の戦争をいかに合理的に戦うかを検証する目的で撮ったのだ。沖縄戦の歴史だけでなく、アメリカという国も見えてくる。
1853年にペリーが黒船で浦賀港に来航する前、実は沖縄に上陸。地質調査をしている。アメリカが当時から沖縄を、アジア制覇の拠点として注目していたことがわかる。その資料を使って、米軍は沖縄上陸作戦を立てた。ペリー来航からほぼ100年が経過していた。米軍が上陸したのが読谷村渡具知海岸。なぜ、日本軍の司令部がある首里城の近くに上陸しなかったのか? 現地に行ってよくわかった。すぐ近くに日本軍の中飛行場があり、それを占領するためだ。のちの嘉手納基地である。日本軍は撤退時に滑走路を使えないように破壊して行ったが、米軍は本国から持って来た重機で、あっという間に使える状態に戻している。アメリカにとって戦争はビジネスだと思えた。
同い年だった知人の使命を僕が果たす
エンドロールの献辞「In Memory of q西池文生(1962-2017)」に気づいてくれたのですか? 西池さんは鳥取のお寺の住職。彼が西本願寺の担当者に「沖縄慰霊の日に行こう」と誘い、戦跡を訪ねたことがきっかけで、沖縄戦プロジェクトがスタート。僕が参加して最初の沖縄行きでも、彼が案内してくれた。その年に急死。あとで、僕と同じ歳だと知った。沖縄を愛した彼が「この島を、沖縄戦を伝えてほしい」と、命がけで伝え、去って行ったように思える。そんな彼の魂が多くの体験者と引き合わせてくれたのかもしれませんね。
【公開日程】7月31日(金)から京都シネマ、8月1日(土)から第七藝術劇場で公開=両劇場で12:40の回上映後、太田監督の初日トークショーを予定している。8月14日(金)~25日(火)神戸映画資料館でも上映=ただし、19日(水)20日(木)休映。