【佐古忠彦監督インタビュー】1996年から約10年間、TBS「ニュース23」でキャスターを務めた佐古忠彦監督は、メインキャスターだった筑紫哲也さん(2008年に73歳で病没)の「沖縄に行けば日本がよく見える。この国の矛盾が詰まっている」という言葉に背中を押され、沖縄をテーマにした作品を作り続けている。公開中のドキュメンタリー映画「生きろ 島田叡―戦中最後の沖縄県知事」は、その最新作だ。
佐古監督は2017年に初めてのドキュメンタリー映画「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー」を発表。文化庁映画賞文化記録映画優秀賞、アメリカ国際フィルム・ビデオフェスティバルドキュメンタリー・歴史部門銅賞、日本映画ペンクラブ賞文化部門1位などを受賞し、大きな注目を集めた。2年後の2019年、平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞を受賞した「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯」を制作した年は約100日間を沖縄で過ごしたという。
沖縄に通い続けた20数年間で積み上がったテーマ
「作品を一つ作ったら、次、また次とテーマが出てくる。正確に数えたことはないけれど、ここ20数年間、沖縄に行った回数は恐らく100を超えるだろう。今回の島田の映画は長いスパンで取材してきたことが積み上がってできた作品だ」と話す。
「本人の日記が残っていたカメジローと違い、島田は2、3枚の写真しか残っていなかった。書き残したものも、動画も肉声も残っていない人の人物像をどう描けるか。2013年にはドラマの力を借りて島田のドキュメンタリードラマを作った。その時にたくさん取材したけれど、使えずに残ったままの証言がたくさんあった。沖縄の戦後史を描くカメジローの映画をやったことで、島田もドキュメンタリーでもできるのではないかと思い始めた。彼を通してみると、組織と個の関係、リーダー論、官僚のあり方など、いろいろなものが見えてくる。島田を主人公に、今までにはない視点で人間の物語を紡いでみたいと思った。
素材はたくさんあったが、改めて今回用に撮り直したものもある。ドキュメンタリー映画だが、どこまで演出が許されるかという挑みの作品でもあった。島田が見たであろう情景の場面では、佐々木蔵之介さんに島田語りを担当してもらった」
苦悩する官僚が人間としての言葉を発した
「想像の域を出ないが、軍と衝突した前任知事の後に赴任した島田は内務省から『軍とうまくやってくれ』と言われていただろう。一方で知事としては、住民を守らなければならない。だが、南部撤退を牛島司令官に具申しても聞き入れられない。板挟み状態のその苦悩の中で、時代と国家に忠実なはずの官僚である島田叡を人間・島田が飲み込んでいく事態になったと思う。その時に周囲に伝えた言葉が『生きろ』だった。そこには元々、島田が持っていたきちんと人間に向き合うという価値観があったのではないかと思う。とはいえ僕は、島田をヒーロー的に美化したいのではない。軍の要請で学徒隊の組織を可能にする覚書が交わされた時の知事は島田とみら
76年前、1945年3月23日から沖縄侵攻が始まり、4月1日にアメリカ軍は沖縄本島中部に上陸し、島を南北に分断した。その後、6月23日まで住民を巻き込んだ激しい地上戦が続いた。
「僕は日付が大事だと思っている。ちょうど沖縄戦があった季節と同じ時期に公開されているので、この季節にこれがあったのかと感じながら見てほしい。特にあの年、沖縄の梅雨は雨がものすごく多かったと言われている。そんな中で沖縄の人たちは、僕らが1日たりともいられない壕に何カ月もいた。その季節の中で、島田や当時のことを証言してくれた人たちが、どんな心境だったのかに思いを馳せてほしい」
【上映情報】京都みなみ会館、第七藝術劇場、元町映画館 で公開中。
公式ホームページ http://ikiro.arc-films.co.jp/
©2021 映画『生きろ 島田叡』製作委員会