年1万台の救急車! 密着取材でERの未来を考える「その鼓動に耳をあてよ」2/3(土)関西で公開

圡方宏史プロデューサー(左)と足立拓朗監督=1月12日、大阪市内で

心に響くドキュメンタリー映画を作り続けている東海テレビドキュメンタリー劇場第15弾は、愛知県名古屋市中川区にある名古屋掖済会(えきさいかい)病院の救命救急センター(ER)に密着取材した「その鼓動に耳をあてよ」(95分)。2/3(土)から関西で公開される。監督は、これが映画第1作となる足立拓朗監督(36歳)。プロデューサーは東海テレビの一連のドキュメンタリー作品を世に出した阿武野勝彦さん(66歳)と「ヤクザと憲法」(15年)、「さよならテレビ」(19年)を監督した圡方宏史さん(48歳)だ。来阪した足立監督と圡方プロデューサーに話を聞いた。

 

★コロナ禍での取材のきっかけ

圡方プロデューサーは2014年にニュース番組の企画で名古屋掖済会病院を取材した。

救急医療の意義と大切さを知り抜いている北川喜己センター長(現・院長)は取材に全面協力した

同病院は1948年11月に港湾労働者や船員向けとして開院した医療施設。掖済の意味は「わきに手を添えて、人を導き、助ける」ことという。取材時に北川喜己センター長(現・院長)と親しくなった圡方プロデューサーは「いつかはドキュメンタリーで長くやってくださいね」と言われたが、内心では難しいだろうと思っていたという。

その後、新型コロナウイルスの感染が拡大。「ドキュメンタリーであの病院を取材したら面白いかも」と思ったが、自分向きの素材ではないと判断。ちょうどコロナに関連して同病院を取材していた足立監督に「君がやったら面白いのでは」と電話をしたところ、「今、企画書を書いていたところです!」との返事。密着取材は、そんな偶然から始まった。

取材に入ったのは、コロナの第5波が始まった2021年6月から22年3月までの9カ月間。重症化リスクが高いといわれたデルタ株が猛威を振るっていたころだ。

★リアルな救命救急の現場に密着

「断らない救急」を掲げ、年間1万台(1日に平均すると27台超え、1時間に1台以上となる)の救急車を受け入れるERの現場には、不穏な空気を呼び込む救急車のサイレン音とともに様々な患者が搬送されてくる。

救急車が到着! 狭い通路をストレッチャーが縦横無尽に行き交っていく

町工場や長屋が多い地域で、運び込まれる患者は、高い足場から転落した人、指を切断した人、脚に釘が突き刺さりケガを負った人だけでなく、耳に虫が入ったと泣く子どもや自死を図った人、自宅療養中に容体が悪化した高齢者もやってくる。

コロナ禍では感染が疑われる患者もくるし、医療現場がひっ迫する中で、他の病院に断られた患者が運び込まれることも増えていく。高速を使っても1時間はかかるであろう県北部から運び込まれた患者もいた。カメラはそれらの患者に誠実に向き合い、冷静に処置していく救急医や看護師の姿をとらえる。

「独居老人が多く、生活保護の人が多い地域にある病院で、救急外来に歩いてくる人だけでも1日に100人以上います。何でも診てくれる病院が24時間開いていることを、地域の人たちは知っているんです」と足立監督。

取材クルーは、監督の他に村田敦崇カメラマンと音声の来栖睦巳の3人。緊迫する救急現場での動き方を足立監督は次のように説明した。「患者さんにもカメラを向けるので許可を得ることが必要です。カメラマンが(安心してお願いできる)ベテランだったので、いったん取材に入ったら、僕は取材許可を取ることに専念しました。救急車で患者が運ばれて来ると、医療従事者は必ず名前を確認します。ご家族は後から来るので、受付に待機して耳を澄まして患者さんの名前を言ったら『ああ、あの人か』と。話しかけづらいなと思っても、機を伺って許可をもらうという感じでした」

★大変な現場、だけど辞める人がいない

救急医・蜂矢康二医師は今年1月1日に発生した能登半島地震の被災地にDMATの一員として赴いたという

そうして撮影したリアルな救急現場で活躍する救急医の一人、蜂矢康二医師(36歳)は言う。「救急の何でも診るは、患者の年齢や病気だけでなく、その人の背景も含まれる」と。その向き合い方に日々接してきた研修医の櫻木佑医師(26歳)は、研修後の進路希望にERと表明した。

だが、16人の研修医のうち、救急に残ると表明したのは彼1人。「名古屋掖済会病院のERは強い救急」とわかった上で、希望して研修に来た医師でも残る人は多くはない。だが、北川センター長は「辞めていく人が少ないんだよね」と話す。映画の中で「世の中の役に立っている感があります」と明言した蜂矢医師も転職先を探していると言いながら、働き続けている。なぜなのだろう?

研修医の櫻木佑医師(左)と話す蜂矢医師

その理由の一つを、圡方プロデューサーは「風通しの良い、フラットな組織だからではないか」と見る。「そうでないと、あれだけの患者を受けてさばいて、ができない。夜勤にプレッシャーにクレーム対応……ERと報道の現場は似ていると思う。売上や視聴率など数字ばかりを見て本分を忘れたトップダウンの組織はいずれ機能不全になる。名古屋掖済会病院は、それぞれの部署が自分たちの能力を生かして『世の中のためになりたい』と活動しているからこそ、やりがいも楽しさも感じられているのではないか」

 

★回り道してたどり着いたドキュメンタリーの現場

阿武野勝彦プロデューサー

プレスシートには阿武野プロデューサーの「本領を発揮できないまま漂流社員になりかけていた足立を『掖済』したのが圡方だ」という言葉が載っている。

大学で電子情報工学を学んだ足立監督は2012年に東海テレビに入社。当初は営業部に配属されたが、14年に報道部に異動。日々のニュース制作のなかで、御岳山噴火(14年)、熊本地震(16年)、北海道胆振東部地震(18年)など災害地取材を多く経験してきた。

その様子を見ていた圡方プロデューサーが「足立はドキュメンタリーをやりたそうです」と阿武野プロデューサーに引き合わせた。

そして足立さんはディレクターとして御岳山噴火で亡くなった若者の家族を取材したドキュメンタリー番組「家族のキモチ」を17年に制作(この取材は今も続行中)。続いて今回の映画のもとになったテレビ番組「はだかのER」を22年3月に放映した。「放映された日はクレームが来るんじゃないかと怖くて、一人で大阪で飲んでました」と足立監督は明かしたが、あれだけきわどい取材をしていながらクレームは一切なかった。医療関係者からは「よく放送してくれた」、かつてERで働いていたという人からは「私は続けられなかったけど、応援しています」という声が届いたという。

その後、テレビ版に入っていたナレーションを外して再編集したテレビ版第3版「はだかのER 救命救急の砦2021-22」が、2022(令和4)年度文化庁芸術祭賞テレビ・ドキュメンタリー部門優秀賞を受賞、映画化への道が開けた。

医療現場では医師を頂点とするヒエラルキーが知られているが「名古屋掖済会病院のERではその山が低く、看護師たちの発言力が他の病院よりも大きいと感じた」と足立監督は話す

足立監督は映画タイトルの鼓動は「心臓の音ではなく、救急の未来の足音のように感じています。そう思った時に、僕が描きたいメッセージがここに包括されていると思いました」と話す。

「今もそうだと思うんですが、ERは花形のように見えて実は花形ではない。かつ、人気もなくて、なかなか報われない。専門医からは下に見られている。しかし、これからの未来では少子高齢化がさらに進み、救急はもっと大事になっていきます。そんな時代がもう来ている。映画を見てその鼓動を感じて、これからの医療に救急がどうあるべきなのか、考えてみてほしい」

エンドロールには名古屋掖済会病院で働く全スタッフ1300人のうち、名前を出すことを承諾した1200余人の名前が延々と続く。この人たち一人ひとりの力があるからこそ、「断らない救急」の理念が現実に守られている。(大田季子)

 

【公開情報】2/3(土)から第七藝術劇場(阪急十三)、元町映画館(各線元町)で公開。足立拓朗監督・圡方宏史プロデューサーによる初日舞台挨拶は、第七藝術劇場で12:20の回上映後、元町映画館で16:10の回上映後。2/16(金)からは京都シネマ(地下鉄四条、阪急烏丸)でも公開。

 

公式webサイト https://tokaidoc.com/kodo/




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